大和田愛羅
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大和田 愛羅(おおわだ あいら、1886年3月24日 - 1962年8月11日)は、日本の音楽家、声楽家、教育家。
経歴
[編集]東京府東京市牛込区牛込下宮比町(現在の東京都新宿区下宮比町)で医師の長男として生まれる。父親が若くして亡くなったため新潟県村上市の祖父のもとで育てられ、新潟師範学校付属小学校、新潟県中学校を経て東京音楽学校声楽科に入学。卒業後は東京府立女子師範学校、東京府立第二高等女学校の教諭となる[1]。 1938年4月には第6回日本音楽コンクールの審査員を務めている[2]。
第二次世界大戦後は上野学園大学の教授に就任。明治大学、東京慈恵会医科大学、国立音楽学校、東洋音楽学校などでも学生の指導にあたった。
作曲
[編集]第二次世界大戦以前の童謡や学校唱歌を多数作曲したほか、新潟県内を中心に学校校歌の作曲を手掛けた。
唱歌
[編集]学校歌など
[編集]- 東京慈恵会医科大学学生歌(作詞:川路柳虹)[4]
- 茨城県立水戸工業高等学校(作詞:葛西しげる)[5]
- 新潟県立新潟中学校(旧制)(作詞:相馬御風)[6]
- 新潟県立新潟高等学校(作詞:堀口大学)[6]
- 新潟県立新潟商業高等学校(作詞:相馬御風)[7]
- 新発田市立外ヶ輪小学校(作詞:手塚義明)[8]
- 杉並区立杉並第四小学校(作詞:中村宇乃)[9]
- 福生市立福生第一中学校(作詞:今西正一)[10]
- 川越市立南古谷小学校
- 川越市立南古谷中学校〈旧〉(1961年廃校)
- 新潟市立栄小学校(作詞:相馬御風)
脚注
[編集]- ^ “村上広域情報誌2001「大和田愛羅」”. デジタルショップ村上 (2001年). 2022年9月29日閲覧。
- ^ 日比谷公会堂でコンクール第一夜『大阪毎日新聞』(昭和13年4月10日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p58 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 諸説あり。詳細は汽車 (歌曲)の項を参照
- ^ “慈恵の歌(第一学生歌)”. 東京慈恵医科大学同窓会 (2021年4月25日). 2022年9月29日閲覧。
- ^ “茨城県立水戸工業高等学校校歌”. 茨城県立水戸工業高等学校. 2022年10月12日閲覧。
- ^ a b “校歌・応援歌”. 東京青山同窓会. 2023年7月2日閲覧。
- ^ “校章と校歌”. 新潟県立新潟商業高等学校. 2023年7月2日閲覧。
- ^ “新発田市立外ヶ輪小学校校歌”. 新発田市立外ヶ輪小学校. 2022年9月29日閲覧。
- ^ “杉並区立杉並第四小学校”. 杉並区立杉並第四小学校. 2022年9月29日閲覧。
- ^ “福生第一中学校学校概要”. 福生第一中学校. 2022年10月12日閲覧。
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、大和田愛羅に関するカテゴリがあります。