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大和めきたる名字の禁止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大和めきたる名字の禁止(やまとめきたるみょうじのきんし)は、薩摩藩琉球で行った政策[1]

古琉球期には琉球の家名は平仮名表記が通常であったが、本土の家名と同根の家名(音韻は琉球語風に変化している、例: 中曽根・仲宗根に対してナカズニ・ナカジュニ)は本土と同様の漢字を当てていた。これらに対して、徳川幕府に対して琉球を異国として演出しようとした薩摩藩により名字が改めさせられる。完全に徹底されたわけではなく、本土と同じ名字も残存した。また、明治維新後に本土と同じ漢字に改める例も多数あった。

主に以下のようなパターンが存在する。

  1. 中山王の名前に含まれる「中」の「仲」への改名(例: 中村仲村中間仲間
  2. 姓名の漢字の変更(例: 中曽根仲宗根船越富名腰

脚注

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  1. ^ 加藤晴明・寺岡伸悟「奄美における地域メディア研究のための予備考察 (PDF) 」『中京大学現代社会学部紀要』第6巻1号、2012年、pp.77 - 110(該当の記述はp.100を参照)

関連項目

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