大友義方
表示
時代 | 江戸時代 |
---|---|
生誕 | 延享4年(1747年) |
死没 | 文化14年7月23日(1817年9月4日) |
改名 | 野津親賢→大友義方 |
別名 | 銀次郎、修理、内蔵助、左京 |
官位 | 従五位下侍従・因幡守 |
幕府 | 江戸幕府高家旗本 |
氏族 | 大友氏 |
父母 |
父:大友義武、母:大森頼隆娘 養父:大友義珍(実兄) |
兄弟 | 義珍、義方 |
子 |
野津親章、養子:義智(義珍の長男)、 他に女あり |
大友 義方(おおとも よしまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての高家旗本。
高家旗本であった実兄大友義珍の養子となる。寛政元年(1789年)5月15日、将軍徳川家斉に御目見する。寛政6年(1794年)10月20日、高家見習に召し出される。同年10月23日、従五位下・侍従・因幡守に叙任する。同年閏11月26日、高家職に就く。享和3年(1803年)3月27日、義珍の隠居により家督を相続する。文化12年(1815年)7月20日、病気を理由に辞職する。文化13年(1816年)3月29日、隠居し養子(甥)の義智に家督を譲る。文化14年(1817年)7月23日死去、71歳。法名は仙齢院。