大内弘家
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 建治2年(1274年)? |
死没 | 正安2年3月28日[1](1300年4月17日) |
別名 | 矢田太郎[1]、大宮太郎[1]、大内介[1] |
戒名 | 大宮寺殿本州大別駕円浄大禅定門[1] |
官位 | 正六位上[1]、周防権介[1]、周防介[1] |
幕府 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 多々良姓大内氏 |
父母 | 父:大内弘貞[1] |
兄弟 | 弘家、貞長、末武弘藤[1] |
子 | 重弘[2]、女子(成安妻、阿具利女母)[2]、鷲頭長弘[2]、弘景[2]、弘氏[2]、恵源侍者[2]、春徳丸[2]、矢田盛賢[2] |
大内 弘家(おおうち ひろいえ)は、周防国の武士。大内氏の第21代当主[1]。
生涯
[編集]先代の弘貞の子で、建治2年(1274年)に大和国矢田郷(現在の大和郡山市)で生まれたという[3]。
正安2年(1300年)3月28日に死去。享年27。弘家の跡は子の重弘が継いだ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション