大倉勝馬
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大倉 勝馬(おおくら かつま、1885年(明治18年)7月15日[1][2] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の公吏。東京府荏原郡駒沢町長。東京市世田谷区長。
経歴
[編集]大倉寛蔵の長男として千葉県に生まれる[1][2]。千葉県立安房中学校を卒業する[1]。千葉県夷隅郡、東京府南葛飾郡各書記、復興局嘱託、駒沢町助役、同町長を経て、1932年(昭和7年)大森区庶務課長に転任した[2]。
1938年(昭和13年)7月、世田谷区長に就任し、1942年(昭和17年)9月まで務めた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c 帝国秘密探偵社 1942, 201頁.
- ^ a b c 日本官界情報社 1942, オ23頁.
- ^ “江戸東京を知る_大東京35区物語_歴代区長一覧”. 東京都総務局. 2020年5月13日閲覧。
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、484頁。NDLJP:1276156。追放事項は「翼賛区支部長」。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年 。
- 日本官界情報社 編『日本官界名鑑 昭和17年版』日本官界情報社、1942年 。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年 。