大供
大供 | |
---|---|
岡山市役所 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 岡山県 |
市町村 | 岡山市 |
行政区 | 北区 |
地域区分(大) | 岡山 |
地域区分(小) | 鹿田 |
人口 (2018年(平成30年)現在) | |
• 合計 | 1,403人 |
郵便番号 |
700-0913 |
大供表町 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 岡山県 |
市町村 | 岡山市 |
行政区 | 北区 |
地域区分(大) | 岡山 |
地域区分(小) | 鹿田 |
人口 (2018年(平成30年)現在) | |
• 合計 | 1,265人 |
郵便番号 |
700-0912 |
大供本町 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 岡山県 |
市町村 | 岡山市 |
行政区 | 北区 |
地域区分 | 鹿田 |
人口 (2018年(平成30年)現在) | |
• 合計 | 239人 |
郵便番号 |
700-0911 |
大供(だいく)は、岡山県岡山市北区にある町丁である。同市の市庁および北区役所の所在地。なお、当地から分立した大供表町(だいくおもてまち)と大供本町(だいくほんまち)も、歴史的一体性を考慮して、当頁にて記述する。
郵便番号は大供が〒700-0913(岡山中央郵便局管区)、大供表町が〒700-0912(岡山中央郵便局管区)、大供本町が〒700-0911(岡山中央郵便局管区)。人口は、大供が1403人(男性630人、女性773人)、大供表町が1265人(男性611人、女性654人)、大供本町が239人(男性117人、女性122人)。世帯数は大供が886世帯、大供表町が653世帯、大供本町が110世帯[1]。
概要
[編集]岡山市中心市街の南寄り、旧国道2号線と西古松・南方間幹線道路(市役所筋)の交差する大供ロータリー(大供交差点)の周辺にあたる[2][3]。
元来の大供(明治22年以前の大供村の範囲)の内、昭和38年7月に西部を厚生町1丁目(当初は大供厚生町と称した)に分割し、昭和39年7月に国道北側の東側を柳町2丁目に編入した。さらに、昭和44年7月、東部の一部を春日町・鹿田町1~2丁目などに分割し、宇野線以西を新屋敷町3丁目、西之町、野田1丁目に分割した。残る大供の地を、南部西側は大供本町・南部東側は大供表町、北部(旧国道2号以北)を3丁目、中部(旧国道2号南部)東側を1丁目、中部西側を2丁目に区分けした[2][4]。
大供1丁目に岡山市役所・北区役所があり、以前は岡山貯金事務センター(岡山地方貯金局)も所在した。同2丁目には、労働基準監督署や大供第二公園があり、以前は近畿中国森林管理局岡山森林管理署岡山事務所(岡山営林署)も所在した。同3丁目には瀬戸内海放送や岡山医療技術専門学校、日本たばこ産業岡山支店なども所在する[2][3][5]。
大供表町はかつての大供村の中心的な地域であり、かつては庭瀬街道沿いを中心に商家が発達し、式内社論社の石門別神社があり、現在も所在する。そのほか、同街道周辺に岡山市立鹿田小学校、岡山市立鹿田認定こども園などが所在し、また市役所筋沿いの水道局前交差点にJA岡山等もある[2]。
小・中学校の学区
[編集]公立の小・中学校に通学する場合、学区は次のように指定されている[6] 。
区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
大供一丁目 | 鹿田小学校 | 桑田中学校 |
大供二丁目 | ||
大供三丁目 | ||
大供表町 | ||
大供本町 |
沿革
[編集]歴史
[編集]当地は旭川のデルタから発達した古い沖積平野の一部であり、弥生時代後期(西暦100~200年頃)の土器が発掘されている[2]。
古代から中世にかけては、当地周辺一帯は鹿田荘と呼ばれ栄えた。平安時代には興福寺南円堂の法華会料田となった。花山天皇の時代(984~986年)頃には、備前国守藤原理兼の鹿田荘検察に端を発し、 荘司や寄人の居宅300余戸を焼き払い、地子米や財物を掠奪するという事件があったことが『朝野群載』に載っている[2]。
江戸時代には御野郡大供村と称され、『吉備温故秘録』に、石高1,661石7斗3升、田畑64町2反5畝12歩、家105軒、人口474人とあり、村中央を庭瀬街道 (現在の市役所筋と一部並行)が南北に通り、現在の大供表町で西方へ向きを変えていた。庭瀬口(現大供1丁目の東北隅あたり)に名物の饅頭屋があったとされる[2]。
明治22年6月の町村制施行にあたり、大供村は西古松・東古松・岡・内田の4村と合併して鹿田村を置き、同31年8月、奥田村を合併。大正10年2月、鹿田村が岡山市に編入した。旧大字、つまり旧鹿田村大字大供を町名として残し存続したが、昭和44年7月実施の町区改訂で前述のように分割・区分けされた[2]。
大供という地名の由来は不詳である[2]。
年表
[編集]年月日 | 出来事 |
---|---|
明治22年6月1日 | 町村制施行により、御野郡大供・西古松・東古松・岡・内田の各村が合併して鹿田村を新設。 |
明治31年8月 | 鹿田村に御野郡奥田村が編入合併。 |
明治33年4月1日 | 御野郡・津高郡が統合されて御津郡となる。 |
大正10年2月 | 鹿田村が岡山市に編入合併。 |
昭和38年7月20日 | 大字大供の一部を厚生町1丁目に分割。[4] |
昭和39年7月20日 | 大字大供の一部を分割し、下石井、下西川町とあわせて柳町2丁目を設置。[4] |
昭和44年7月20日 | 町区改訂により、大字の大供が分割・区分けされ、大供1~3丁目、大供表町、大供本町、鹿田町1~2丁目、鹿田本町、新屋敷町3丁目、西之町、野田1丁目が設置される。[4] |
平成21年4月 | 岡山市が政令指定都市へ移行。行政区が設置され、北区の管轄となる。 |
人口・世帯数等
[編集]地区 | 世帯数 | 男女人口 | 男性人口 | 女性人口 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
大供1丁目 | 232 | 392 | 180 | 212 | |
大供2丁目 | 565 | 868 | 387 | 481 | |
大供3丁目 | 89 | 143 | 63 | 80 | |
(大供 計) | 886 | 1403 | 630 | 773 | |
大供表町 | 653 | 1265 | 611 | 654 | |
大供本町 | 110 | 239 | 117 | 122 | |
(総計) | 1649 | 2907 | 1358 | 1549 |
主要施設
[編集]- 公的施設
- 教育施設
- 医療・福祉施設
- 郵便局
- 岡山大供郵便局 - 大供2丁目
- 金融機関
- 広島銀行岡山南支店 - 大供1丁目
- 一般企業・商店
- 中四国郵政健康管理センター岡山分室 - 大供1丁目
- JP労組岡山県連絡協議会 - 大供1丁目
- 岡山トヨタ自動車本社・岡山店 - 大供3丁目
- 日本たばこ産業岡山支店 - 大供3丁目
- 瀬戸内海放送岡山本社 - 大供3丁目
- 岡山市農業協同組合 - 大供表町
- JA岡山農産物直売所はなやか中央店 - 大供表町
- 神社仏閣
- 石門別神社 - 大供表町
この節の加筆が望まれています。 |
交通
[編集]- 道路
- 国道2号別線(旧国道2号)
- 岡山県道21号岡山児島線(岡山県道162号岡山倉敷線重複、旧国道2号)
- 岡山県道173号大元停車場線(市役所筋)
- 旧街道
- 庭瀬往来(鴨方往来)
この節の加筆が望まれています。 |
参考文献
[編集]- 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
- 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2001年)
- 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)