大中華仏国 (石頂武)
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大中華仏国(だいちゅうかふつこく、繁体字中国語: 大中華佛國、簡体字中国語: 大中华佛国)は、1947年から1953年の間に、現在の湖南省と江西省一帯の地域に存在した国家である[1]。
概要
[編集]清の光緒年間(1875年 - 1908年)、湖南湘潭の地主石振順は、仏教系新宗教「三期普渡道」を創立した。その第三代教主で、石振順の孫にあたる石頂武は中国国民党に入党して勢力を蓄え、信徒は20余県3万人に膨れ上がった。
国共内戦期の1947年、石頂武は帝位に就き、国号を「大中華仏国」、「黄杏仏旗」を国旗とし、国都を現在の湖南省湘潭市湘潭県排頭郷に定めた。また、左丞相王裕契、右丞相陳太来、保駕将軍屈照白、軍師張啓方など、教団主要幹部を官職に任命した。しかし1952年冬に、中共中央と省委員会によって「反動会道門」活動が展開された。湘潭市、県には2級公安機関が派遣され、100余名の警察によって鎮圧された。1953年6月、石頂武は逮捕され、1953年冬に公開処刑された[2][3]。
復国
[編集]→詳細は「大中華仏国 (石金鑫)」を参照
脚注
[編集]- ^ 来源:鳳凰網;作者:莫辛 (2014年6月7日). “中華仏国覆滅記:1949年後父子相継“称帝”” (簡体中文). 鳳凰網>資訊>歴史>中国現代史>正文. 2014年6月7日閲覧。
- ^ 作者:伍蔭棠 譚明理 (2009年1月16日). “反動会道門頭目石頂武覆滅記” (簡体中文). 中国·湘潭人文網>編輯互動>正文. 2014年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月16日閲覧。
- ^ 来源:湘潭人文網;作者:伍蔭棠 譚明理 (2014年6月3日). “反動会道門頭目石頂武覆滅記” (簡体中文). 中国警察網>警史館>警界記憶>正文. 2015年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 馮偉林/編著 (1991年09月第1版) (簡体中文). 《“大中華仏国”的覆滅》. 広州: 花城出版社. pp. 第1-31頁. ISBN 7-5360-0948-8/I·852 1991年09月第1次印刷閲覧。
- 莫辛/主編 (1998年10月第1版) (簡体中文). 《帝夢驚華:当代中国“称帝”鬧劇》>一、湘贛辺:“大中華仏国”. 広州: 広州出版社. pp. 第1-35頁. ISBN 7-80592-854-1/K·83 1998年10月第1次印刷閲覧。