多賀章仁
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近江高等学校硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 滋賀県彦根市 |
生年月日 | 1959年8月18日(65歳) |
選手情報 | |
ポジション | 捕手、一塁手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督歴 | |
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この表について
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多賀 章仁(たが あきと、1959年8月18日 - )は、滋賀県彦根市出身の日本の高校野球指導者。近江高等学校副校長、社会科教諭、硬式野球部監督[1]。
経歴
[編集]高校は京都府の強豪・平安高校に進学。在校中は一塁手兼捕手でプレー[1]。高校時代は3年間はチームが低迷し、監督が三回も交代している[1]。在校中の全国大会はなかった。高校の一学年後輩に龍谷大平安高校で監督を務める、原田英彦がいる。
平安高校を卒業後は、龍谷大学に進学[2]。野球を続けるが、4年次より指導者を志すようになる。
大学卒業後の1982年からは教員免許取得のため、聴講生として、大学に残るとともに龍谷大学のコーチも務める[2]。1983年からは近江高校に社会科教諭として赴任し、野球部のコーチに就任する[2]。野球部部長を経て、1989年に監督に就任[2]。1992年夏には監督として、甲子園大会に初出場。2001年夏と2022年春には、滋賀県勢最高成績の準優勝に導いている。2002年からは近江高校の副校長に就任し、野球部の指導と学校運営の両立を図っている[1]。
甲子園での成績
[編集]- 春:出場6回・9勝6敗
- 夏:出場16回・19勝16敗
- 通算:出場22回・28勝22敗
著名な教え子
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d “社会科教諭で副校長も兼務 近江・多賀監督に苦労を聞いた”. 日刊ゲンダイ. (2018年8月7日) 2022年1月10日閲覧。
- ^ a b c d “近江・多賀監督の「監督30周年および還暦を祝う会」が開催!盟友が明かした3つの素顔”. 高校野球ドットコム. (2020年1月12日) 2022年1月10日閲覧。