多賀秀敏 (官僚)
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多賀 秀敏(たが ひでとし、1890年(明治23年)5月28日[1] - 1934年(昭和15年)7月14日)は、朝鮮総督府官僚。正五位勲六等[2]。
経歴
[編集]大阪府大阪市出身[1]。1918年(大正7年)、東京外国語学校英語学科を卒業。1921年(大正10年)には京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、翌年に高等試験行政科に合格した[3]。朝鮮総督府属、道警視、咸鏡南道商工課長・審査課長、同水産課試験場長、忠清南道学務課長・土木課長、京畿道学務課長、忠清南道財務部長、慶尚北道財務部長、大邱府尹、光州税務監督局長などを歴任した[1][3]。
1934年(昭和15年)7月14日、病気療養中に大阪市の大阪帝国大学医学部附属医院で死去、44歳[4]。同年5月中旬より入院していた[4]。死没日をもって従五位から正五位に叙される[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c 輓近大日本拓殖史 1934, p. 491.
- ^ a b 「故多賀局長に叙位の御沙汰」『朝鮮新聞』朝鮮新聞社、1934年7月25日、夕刊、1面。2024年3月20日閲覧。
- ^ a b 朝鮮人事興信録 1935, p. 270.
- ^ a b 「多賀秀敏氏訃」『朝鮮新聞』朝鮮新聞社、1934年7月17日、夕刊、5面。2024年3月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 『朝鮮人事興信録』朝鮮人事興信録編纂部、1935年。
- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。