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多胡薬師塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多胡薬師塚古墳

墳丘・石室開口部
別名 吉井町1号墳
所在地 群馬県高崎市吉井町吉井川
位置 北緯36度14分43.17秒 東経138度59分15.75秒 / 北緯36.2453250度 東経138.9877083度 / 36.2453250; 138.9877083座標: 北緯36度14分43.17秒 東経138度59分15.75秒 / 北緯36.2453250度 東経138.9877083度 / 36.2453250; 138.9877083
形状 円墳
規模 直径25m
高さ3.5m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 7世紀後半
史跡 高崎市指定史跡「多胡薬師塚古墳」
地図
多胡薬師塚 古墳の位置(群馬県内)
多胡薬師塚 古墳
多胡薬師塚
古墳
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多胡薬師塚古墳(たごやくしづかこふん)は、群馬県高崎市吉井町吉井川にある古墳。形状は円墳。高崎市指定史跡に指定されている。

概要

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群馬県南部、鏑川南岸の上位段丘上に築造された古墳である。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は円形で、直径約25メートル・高さ約3.5メートルを測る[1]。墳丘表面では葺石が認められるが、埴輪は認められない[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。切石によって構築された整美な石室で、一部に切組積み手法が認められる[1]。石室内の副葬品は明らかでない。築造時期は古墳時代終末期7世紀後半頃と推定される[1]。周辺では和銅4年(711年)頃建碑の多胡碑(吉井町池、国の特別史跡)が知られ、石材・加工技術の共通性が注目される[3]

古墳域は1971年昭和46年)に旧吉井町指定史跡(現在は高崎市指定史跡)に指定されている。

遺跡歴

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埋葬施設

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石室俯瞰図
左から右に、羨道・玄室。
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[2]

  • 石室全長:4.94メートル
  • 玄室:長さ2.1メートル、幅2.15メートル(奥壁)、高さ1.7メートル
  • 羨道:長さ2.8メートル、幅1.1メートル、高さ1.3メートル

石室の石材は地元で産出する牛伏砂岩(多胡石)の切石で、多胡碑と共通する[1]。玄室は奥壁を一枚石とし、両側壁は大石の上に小さい石を載せる[3]。天井石は1石[3]

文化財

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高崎市指定文化財

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  • 史跡
    • 多胡薬師塚古墳 - 1971年(昭和46年)6月29日指定[1][4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 多胡薬師塚古墳(高崎市ホームページ)。
  2. ^ a b 多胡薬師古墳(古墳) 1989.
  3. ^ a b c 多胡薬師塚古墳(平凡社) 1987.
  4. ^ 史跡説明板。

参考文献

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  • 史跡説明板
  • 「多胡薬師塚古墳」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490107 
  • 梅沢重昭「多胡薬師古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連項目

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外部リンク

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