多羅尾光吉
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時代 | 室町時代→戦国時代 |
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生誕 | 文明11年(1477年)[1] |
死没 | 永禄11年2月4日(1568年3月9日)[1] |
戒名 | 道安、宗清 |
官位 | 左京進、和泉守[1] |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 多羅尾氏 |
父母 | 父:多羅尾光紀?[2] |
妻 | 池田教正女? |
子 | 光俊 |
多羅尾 光吉(たらお みつとし)は、室町時代から戦国時代にかけての近江国の武将。『寛政重修諸家譜』では妻は池田教正の娘であるとされるが、教正の活動の初見は永禄年間であり時代が合わない。
生涯
[編集]近江国甲賀郡信楽荘小川の国人[1]。同じく信楽荘の有力国人であった鶴見成俊との抗争に勝利し、勢力を拡大させることに成功したという。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』 15巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0219-2。