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旧多摩聖蹟記念館

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多摩聖蹟記念館から転送)
東京都多摩市立
旧多摩聖蹟記念館
旧多摩聖蹟記念館
地図
施設情報
前身 多摩聖跡記念館
専門分野 明治天皇
事業主体 東京都多摩市
管理運営 東京都多摩市
開館 1930年
所在地 206-0021
東京都多摩市連光寺五丁目1番地1(東京都立桜ヶ丘公園内)
プロジェクト:GLAM
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旧多摩聖蹟記念館(きゅうたませいせききねんかん)は、東京都多摩市連光寺にある歴史的建造物・展示施設。東京都立桜ヶ丘公園内に所在する。明治天皇の当地への行幸を記念して1930年(昭和5年)に作られ、昭和後期には改修・改称が行われた。多摩市指定文化財及び東京都景観上重要な歴史的建造物である。

沿革

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旧多摩聖蹟記念館は、明治天皇の当地への行幸を記念して作られた施設で、1930年(昭和5年)11月に元宮内大臣田中光顕が中心となり、当時の人々の土地の寄付や工事の協力などによって、現在の東京都立桜ヶ丘公園内に建設、開館された。聖蹟(聖跡)とは時の天皇が行幸した地の呼称で、他にも日本各地に「聖跡」と称する記念碑等が見受けられる。

記念館開設に先立つ1928年(昭和3年)、明治天皇御製及び昭憲皇太后の御歌の碑が建てられ、翌1929年(昭和4年)に東京浅草橋場にあった対鴎荘の建物を移築し、付属庭園を設けたのが始まりである。明治天皇は、1884年(明治17年)の臨幸の際、狩場を跋渉したとき、谷間から鶯の一声が聞こえそぞろに心を動かし、「春深き山の林にきこゆなり今日を待ちけむ鶯の声」と詠んだ。皇后(昭憲皇太后)は「春もまだ寒きみやまの鶯はみゆきまちてや鳴きはじめけむ」「兎とる網にも雪のかかる日にぬれしみけしを思ひこそやれ」と詠み、これら3首の碑が建てられたものである。碑材は小豆島産の花崗岩、文字は田中光顕の揮毫にかかる。

対鴎荘は、記念館までの道の左手、向丘にあった草葺の1棟の建物である。もと浅草の大川端にあった三条実美の別邸であった。1873年(明治6年)三条は征韓論のもつれから心痛のあまり病んで引きこもっていた。明治天皇は三条を一度は虎ノ門の三条邸に見舞ったが、ふたたび三条が病を養う橋場の別邸におもむいた。そのときの玉座の間が対鴎荘の客間であった。対鴎荘は現存しない。

明治天皇は、明治10年代、30歳代の頃、連光寺の山や多摩川(現在の多摩市立多摩中学校付近)にて兎狩や(明治14年・1881年2月)や鮎漁(同年6月)を行うため当地を訪れ、1882年(明治15年)2月、1884年(明治17年)3月を含め4回ほど訪れている。多摩聖蹟記念館は、この行幸をしのび田中光顕らにより造られたもので、大正天皇が武蔵陵墓地に埋葬された折、京都(伏見)に埋葬されている明治天皇を偲ぶ記念館を関東に、ということで造られたものである。

当館は1986年(昭和61年)、多摩市指定文化財及び東京都景観上重要な歴史的建造物に指定された。同年、財団法人多摩聖蹟記念会から多摩市に寄贈され、現在の名称に改称された。翌1987年(昭和62年)、同館は改修を経たうえでリニューアルオープンを果たした[1]

施設概要

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本館は近代式鉄筋コンクリート造り、両袖の付いた円形の大殿堂で、設計は関根要太郎蔵田周忠で、オーストリアウィーン分離派ドイツユーゲント・シュティールと呼ばれる建築デザインの影響が見られ、多摩地区の近代建築の中でも大変貴重なものである。施工は大倉土木株式会社(延べ工事人員5870人)である。2022年DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されている[2]

館内では、渡辺長男作の『明治天皇騎馬等身像』(明治14年2月、明治天皇30歳、肋骨付きの陸軍服を着用、料馬金華山に騎乗)[3][注釈 1]、田中光顕が収集した坂本龍馬肖像など幕末明治に活躍した人物の書画等や、多摩の植物の写真が展示されているほか、有料であるがギャラリーとしても利用できる。

記念館には「明治維新五賢堂」が併設されている。この施設は、1968年(昭和43年)に明治維新100周年を記念して、財団法人「多摩聖蹟記念会」によって建設された。内部では、明治天皇立像(当初は多摩聖蹟記念館内で展示)、ならびに三条実美岩倉具視木戸孝允大久保利通西郷隆盛の胸像が安置されている。これらの作品は、小金丸幾久制作、北村西望の監修によるものである[5]

  • 所在地 - 東京都多摩市連光寺五丁目1番地1
  • 起工 - 1929年10月12日
  • 竣工 - 1930年6月26日
  • 建物面積 - 397.19平方メートル
  • 構造 - 鉄筋コンクリート造、地上1階建、高さ約11メートル
  • 開館時間 - 10:00〜16:00
  • 入館料 - 無料
  • 休館日 - 毎週月・水曜日(但し、国民の休日に当たる場合はその翌日)、年末年始

交通アクセス

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京王バス桜06・07系統 記念館前下車、徒歩5分

広報誌

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1988年4月より、旧多摩聖蹟記念館に関連する情報を掲載した広報誌「雑木林」(隔月1回1日)が発行されている。同誌は、多摩市植物友の会や都立桜ヶ丘公園の協力のもと、多摩市教育委員会教育振興課の名義で発行される。2005年3月には第1号から第100号までを合冊製本したものが出版された。

所有者の変遷

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1937年、記念館の管理等を行うために財団法人「多摩聖蹟記念会」が、田中光顕らにより発足。戦後は記念館を訪れる人も減り記念会も休眠状態となったが、周辺で宅地開発が盛んになると一部理事らが記念館の土地の売却を試みた。この動きに東京都は1961年1973年の二度にわたり土地の一部を買い上げたが、依然として建物周辺などの土地約1万㎡は記念会の財産として残された。しかし記念会の乱脈経営などが続き、残された土地は1970年代後半に売却されたり担保にされるなどした[6]

当地が登場する作品

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脚注

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注釈

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  1. ^ なお、本像は、昭和の改修の際に台座が撤去されている[4]

出典

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  1. ^ 小田原 2021, p. 124.
  2. ^ DOCOMOMO. “多摩聖蹟記念館(現:旧多摩聖蹟記念館)”. docomomo. 2022年6月8日閲覧。
  3. ^ 小田原 2021, p. 120.
  4. ^ 小田原 2021, p. 122.
  5. ^ 小田原 2021, p. 123.
  6. ^ 多摩市長が自分名義に 売却りたり担保にも 事業せず負債八億『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月18日朝刊、13版、23面

参考文献

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  • 倉持順一編『有形文化財の保護と活用 生涯学習施設としての旧多摩聖蹟記念館』多摩市教育委員会、2001年
  • 小田原のどか『近代を彫刻/超克する』講談社、2021年10月27日。ISBN 978-4-06-525287-1 

関連項目

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