多忠廉
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多 忠廉(おお の ただきよ、1843年(天保14年) - 1916年(大正5年)3月29日)は、雅楽家。
経歴
[編集]父は多忠愛(1811 - 1890)。兄弟は忠氏、忠孝、忠久、栄子(有栖川宮家侍女)。子に忠龍(1865 - 1944)、忠保(1873 - 1941)、忠重(1875 ‐ 1936)、忠品(1877 ‐ ?)、季秀(1882 - 1905)、忠芳、忠貫。
1852年(嘉永5年)、正六位下に叙され、右近将曹となる。1870年3月15日(明治3年2月14日)、東上するため出発。1870年(明治3年)11月7日、太政官内に雅楽局が設置され少伶人となり、1875年(明治8年)4月4日権中伶人に昇格した。1878年(明治11年)8月29日には四等伶人となる。
1884年(明治17年)10月3日の官制改革により雅楽師を、1885年(明治18年)に音楽取調掛御用掛となり、1888年(明治21年)5月19日には、伶人長兼楽師を1907年(明治40年)10月31日には、楽師をそれぞれ歴任した。1914年(大正3年)、退官。1916年(大正5年)3月29日死去、享年74。従七位、勲七等。