多功房朝
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時代 | 戦国時代・安土桃山時代 |
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生誕 | 文亀3年(1503年) |
死没 | 天正17年10月5日(1589年11月12日)[1] |
墓所 | 見性寺 |
官位 | 石見守 |
氏族 | 多功氏 |
父母 | 父:多功長朝 |
子 | 多功秀朝、多功綱継 |
多功 房朝 / 多功 房興(たこう ふさとも / たこう ふさおき)とは、戦国時代の武将。下野国の大名、宇都宮氏の家臣。宇都宮氏庶流の多功氏。多功城城主。父は多功長朝。子に多功秀朝、多功綱継。石見守。闇礫軒。
宇都宮氏の重臣で、父・多功長朝同様、多くの合戦で活躍し、宇都宮氏の勝利を貢献した猛将である。天文18年(1549年)の喜連川五月女坂の戦いに父とともに出陣し、活躍した。
房朝は父が没した後は、後北条氏との合戦で活躍し、元亀3年(1572年)1月に多功城で後北条氏の2000の軍勢と戦い、撃退している。
さらには同年12月に後北条氏が再び多功城に攻め込んだが、佐竹氏の援軍とともにこれを退けた。後北条氏の下野国侵攻を何度も食い止めた。
脚注
[編集]- ^ 『栃木県史 史料編 中世 4』(栃木県、1979年)p.497