外山軍治
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人物情報 | |
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生誕 |
1910年3月24日 日本 徳島県板野郡土成町 |
死没 | 1999年9月7日 (89歳没) |
出身校 | 京都帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 東洋史 |
研究機関 | 大阪外国語大学、愛泉女子短期大学、堺女子短期大学 |
学位 | 文学博士 |
外山 軍治(とやま ぐんじ、1910年3月24日[1] - 1999年9月7日)は、日本の東洋史学者。大阪外国語大学名誉教授。
経歴
[編集]出征から終戦まで
[編集]1910年、徳島県板野郡土成町(現・阿波市)生まれ[1]。大阪府立住吉中学校、大阪高等学校で学んで、京都帝国大学文学部に入学。史学科(東洋史学専攻)で羽田亨に師事し、1933年に卒業した。羽田の指導の下、外務省文化事業部助成金を得て満蒙文化の研究に従事した。
戦後
[編集]戦後、大阪外国語大学教授に就任。1962年に京都大学にて文学博士号を取得[2]。1974年に大阪外国語大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、愛泉女子短期大学教授、堺女子短期大学教授(1976年 - 1983年)として教鞭を執った。1999年、肺炎のため死去[1]。
受賞・栄典
[編集]- 1982年:勲三等旭日中綬章を受章。
研究内容・業績
[編集]- 専門分野は満州・モンゴル高原の古代北方異民族史。その後は唐代史に関心を広げ、『則天武后』などを出している。
- 中国近現代史の分野でも、『太平天国と上海』などを残している。
- 書道に関しても造詣が深かった。
著作
[編集]- 『岳飛と秦檜 主戦論と講和論』冨山房 1939
- 『太平天国と上海』高桐書院 1947
- 『顔真卿 剛直の生涯』創元社 1964、新版1986
- 『金朝史研究』東洋史研究会 1964 [3]
- 「東洋史研究叢刊」同朋舎 1979
- 『則天武后 女性と権力』中公新書 1966
- 『中国の書と人』創元社 1971
- 『中国の書と人 2』創元社 1986
- 訳・注解
編著ほか
[編集]- 『京大東洋史2 貴族社会』創元社 1952、新版1976
- 『世界史辞典』 前川貞次郎・会田雄次共著 泰西社 1958
- 『東洋の歴史 第5巻 隋唐世界帝国』人物往来社 1967 責任編集
- 『中国文明の歴史5 隋唐世界帝国』中公文庫 2000
- 『東洋の歴史 第13巻 人名事典』日比野丈夫共編 人物往来社 1967
- 『入門書道全集7 書の鑑賞』春名好重共著 実業之日本社 1973
- 『東洋史通論』創元社 1983
脚注
[編集]- ^ a b c 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.408
- ^ 外山軍治『金朝史の研究』(文学博士 報告番号不明論文) 京都大学、1962年。NAID 500000317714 。
- ^ 河内良弘「<批評・紹介>外山軍治著「金朝史研究」」『東洋史研究』第24巻第1号、東洋史研究會、1965年6月、102-107頁、CRID 1390009224833938304、doi:10.14989/152685、hdl:2433/152685、ISSN 0386-9059。
参考文献
[編集]- 勝藤猛「外山軍治教授の訃」『東洋史研究』第58巻第3号、東洋史研究會、1999年12月、633-633頁、CRID 1390853649764533376、doi:10.14989/155251、hdl:2433/155251、ISSN 0386-9059。
- 中公新書の略歴ほか