夏目吉忠
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夏目 吉忠 (なつめ よしただ、永禄5年(1562年) - 慶長7年11月21日(1603年1月3日))は、戦国時代の武将。夏目吉信の長男[1]。通称次郎左衛門 、孫惣。
はじめ夏目吉為と名乗った。父・吉信の討死後、跡を継ぎ家康に仕えた。慶長5年関ヶ原の戦いに供奉し、慶長7年父が戦死した伊豆国1万石および韮山城を吉忠に授けるとの恩命を受けたが、実際に賜ることは無かった[2]。
慶長7年(1602年)11月21日死去。妻は今村九郎兵衛の娘[2]。
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