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夏目吉忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
幸田町六栗にある夏目吉忠の墓(左)

夏目 吉忠 (なつめ よしただ、永禄5年(1562年) - 慶長7年11月21日1603年1月3日))は、戦国時代の武将。夏目吉信の長男[1]。通称次郎左衛門孫惣

略歴

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はじめ夏目吉為と名乗った。父・吉信の討死後、跡を継ぎ家康に仕えた。慶長5年関ヶ原の戦いに供奉し、慶長7年父が戦死した伊豆国1万石および韮山城を吉忠に授けるとの恩命を受けたが、実際に賜ることは無かった[2]

慶長7年(1602年)11月21日死去。妻は今村九郎兵衛の娘[2]

参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜第二輯』(国民図書、1922年、949p)

脚注

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  1. ^ 夏目氏”. 2022年10月4日閲覧。
  2. ^ a b 国民図書 1922, p. 949.

外部リンク

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