壬生基泰
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壬生基泰 みぶ もとやす | |
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生年月日 | 1909年1月2日 |
没年月日 | 1979年5月14日(70歳没) |
出身校 | 東京帝国大学文学部卒業 |
前職 | 鉄鋼統制会職員 |
所属政党 | 研究会 |
称号 |
従四位 勲六等 |
配偶者 |
壬生博子 壬生淑子 |
子女 | 養子・壬生基博 |
親族 |
祖父・壬生基修(貴族院議員) 義父・三好英之(北海道開発庁長官) 伯父・清閑寺経房(貴族院議員) 従兄・由利正通(貴族院議員) |
在任期間 | 1946年6月27日 - 1947年5月2日 |
壬生 基泰(みぶ もとやす、1909年〈明治42年〉1月2日[1] - 1979年〈昭和54年〉5月14日[1][2])は、日本の政治家、華族。貴族院伯爵議員。位階は従四位[2]。勲等は勲六等[2]。
経歴
[編集]陸軍軍人・壬生基義の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い1936年(昭和11年)12月15日、伯爵を襲爵した[1][4]。
1932年(昭和7年)東京帝国大学文学部を卒業[2]。1935年(昭和10年)陸軍騎兵少尉に任官[2]。騎兵第1連隊留守隊付、陸軍兵器本部付兼陸軍省整備局付、軍需省軍需官、商工省嘱託などを歴任[2]。陸軍騎兵大尉に昇進して退官した[2]。その後、大建産業嘱託、鉄鋼統制会勤務などを務めた[2][3]。
1946年(昭和21年)6月27日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し[5][6]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 壬生基義 |
伯爵 壬生家第3代 1936年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |