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増田 五郎右衛門(ますだ ごろうえもん、安永6年(1777年) - 文政元年6月28日(1818年7月30日))は、江戸時代後期の農民[1]、義民[2]。
駿河田中藩領志太郡細島村の名主[2]。文化13年(1816年)の秋、台風被害救済をもとめて一揆を起こす[1][2]。その後首謀者として自首、処刑された[1]。