増永正一
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増永 正一(ますなが しょういち、1882年(明治15年)12月25日[1] - 1944年(昭和19年)8月1日[要出典])は、日本の裁判官、検事。勲二等、従三位。
経歴
[編集]千葉県出身。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補となった[2]。前橋地方裁判所判事、横浜地方裁判所判事、横須賀区裁判所判事、横浜区裁判所判事を歴任[1]。1920年(大正9年)に朝鮮総督府裁判所に転じ、1925年(大正14年)に欧米に出張した[2]。帰国後、高等法院判事、高等法院部長を経て、1934年(昭和9年)に朝鮮総督府法務局長となり、1937年(昭和12年)に高等法院検事長に就任した[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 帝国法曹大観 1915, p. 194.
- ^ a b c 人事興信録 1941, p. マ之部 增(田、谷、地、富、永、成、野) マ五三.
- ^ 人事興信録 1943, p. マ之部 增(永、成、西、野、林、原、淵、見) マ五〇.
参考文献
[編集]- 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。