境部
表示
境部(さかいべ)とは、古代日本の部(名代あるいは職業部(品部))の一つ。坂合部・堺部とも表記する。
概要
[編集]境部のルーツは允恭天皇の皇子、坂合黒彦皇子(さかいのくろひこのみこ)の名代・子代であるとも言われている。『日本書紀』巻第十四、雄略天皇即位前紀に、坂合部贄宿禰という人物が、大泊瀬皇子(雄略天皇)に焼き殺された坂合黒彦皇子の屍を抱いて焼き殺され、後で舎人たちが骨を区分けすることができなかった、という伝承があるが[1]、この贄宿禰という人物は、坂合黒彦皇子の壬生部ではなかったのか、と言われている。
ただ、有力な説は、国境などの境界を画定する部とするものであり、『新撰姓氏録』「摂津国皇別」の無姓の坂合部氏の記事にもそのようなことが記されている。そのほかにも、大和政権が朝鮮半島南部の課税地区の農民を「境部」と称して、任那の滅亡後、任那の貢調の収納・管理をつかさどる官人の家柄を指したとする説、隼人と渡来人を構成主体とし、入京する外国の使節に対し、衢(ちまた)で境界祭祀を行い、加えて使節の接待・対応にあたったとする説も見られる。
その部としての特質上、分布が大和国・河内国・摂津国・和泉国・播磨国・美作国に限られている。
脚注
[編集]- ^ 『日本書紀』雄略天皇即位前紀(安康天皇3年8月条)
参考文献
[編集]- 『日本書紀』(三)岩波文庫、1994年
- 『日本書紀』全現代語訳(上)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
- 『日本古代氏族事典』【新装版】佐伯有清:編、雄山閣、2015年
- 『日本古代氏族人名辞典』坂本太郎・平野邦雄監修、吉川弘文館、1990年