コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

塩屋方圀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塩屋 方圀(しおや かたくに、1850年嘉永2年12月) - 1914年大正3年)11月11日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

[編集]

石川県出身。金沢藩士・堀尾治郎兵衛の息子として生まれる。西南戦争では砲兵第6大隊を指揮し熊本鎮台に籠城した。

1887年(明治20年)11月、砲兵大佐に昇進し、同月、広島鎮台参謀長に就任。1888年(明治21年)5月、広島鎮台が第5師団に改編され、引き続き参謀長を務める。1892年(明治25年)2月、陸軍大学校長に転じた。

1894年(明治27年)8月、陸軍少将に進み、同月、第1軍兵站監に就任し日清戦争に出征。1895年(明治28年)7月、要塞砲兵監に就任。1896年(明治29年)10月、威海衛占領軍司令官兼歩兵第2旅団長に転じた。

1898年(明治31年)3月、対馬警備隊司令官に就任。1899年(明治32年)3月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官に着任。1902年(明治35年)5月、予備役に編入された。

栄典

[編集]
位階
勲章等

親族

[編集]

脚註

[編集]
  1. ^ 『官報』第1970号「叙任及辞令」1890年1月25日。
  2. ^ 『官報』第3388号「叙任及辞令」1894年10月11日。
  3. ^ 『官報』第5696号「叙任及辞令」1902年7月1日。
  4. ^ 『官報』第782号「叙任」1886年2月13日。
  5. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  6. ^ 『官報』第3849号・付録「辞令」1896年5月1日。
  7. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。

参考文献

[編集]
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。