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塩入亮忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
塩入 亮忠
人物情報
生誕 (1889-06-23) 1889年6月23日
日本の旗 日本
死没 1971年12月23日(1971-12-23)(82歳没)
出身校 天台宗大学大谷大学
学問
研究分野 仏教学
研究機関 大正大学
学位 文学博士
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塩入 亮忠(しおいり りょうちゅう、1889年6月23日 - 1971年12月23日)は、天台宗の僧侶、仏教学者。第13代大正大学学長。雅号・一乗子、別名・汲海。

生涯

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1889年、長野県小県郡神川村(現上田市)に生まれる。1901年、東京浅草寺で得度。天台宗大学(現・大正大学)で学び、1915年に卒業。大谷大学研究科で華厳唯識、天台宗学を学びつつ、奈良華厳宗本山東大寺勧学院でも修めた。

1918年より天台宗大中学講師、1927年より大正大学講師となる。研究雑誌「伝教大師研究」を創刊。第2代駒込中学校長・理事長を務めた。1931年より大正大学教授。1951年、同大学学長に就任。1959年に定年退職し名誉教授。1961年、「伝教大師の思想と教学の研究」により東洋大学文学博士号。

浅草寺執事長、宗務総長探題。浅草寺法善院住職、川越喜多院の住職を務めた。[1][2]

著書

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  • 『伝教大師』伝教大師奉讃会 1937。各・正式な表記は「傳教大師」
  • 『新時代の伝教大師の教学』大東出版社 1939
  • 『観音全集 第1巻 観音信仰への道』有光社 1940

訳・共編

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論文

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  1. ^ 日本人名大辞典 講談社 2009年
  2. ^ 20世紀日本人名事典日外アソシエーツ 2004年