塚原葦穂
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塚原 葦穂(つかはら あしほ、1888年(明治21年)[1] - 1965年(昭和40年)[1])は、日本の政治家、教育者。長野県諏訪市長。
来歴
[編集]長野県諏訪郡豊平村[1](現茅野市)生まれ。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、長野師範学校卒業[1]。諏訪郡高島小学校訓導、同郡宮川小学校長、上高井郡視学、長野県視学を経て、1933年(昭和8年)高島小学校長兼高島裁縫専修学校長となる[1]。また諏訪教育会長として二・四事件の事後処理に奔走した[1]。また郷土史研究に力を入れ、『諏訪史』の編集刊行に尽力し、1937年(昭和12年)第2巻後編の刊行代表者を務めた[1]。また同年から『諏訪史料叢書』の刊行に当たった[1]。
1947年(昭和22年)4月に施行された初の公選による諏訪市長選挙で当選し[1][2]、1951年(昭和26年)4月まで1期務めた[2]。戦後の財政難の下で民主化政策に力を入れ、農林課・商工課・企画調査室・水道温泉課・福祉事務所等の設置や、教育費の増額を図った[2]。その他、長野県人事委員会委員、諏訪市社会福祉協議会長、UNESCO諏訪市部長などを歴任した[1]。