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報専坊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
報専坊
所在地 広島市中区寺町3-3
位置 北緯34度24分13.8秒 東経132度26分58.0秒 / 北緯34.403833度 東経132.449444度 / 34.403833; 132.449444座標: 北緯34度24分13.8秒 東経132度26分58.0秒 / 北緯34.403833度 東経132.449444度 / 34.403833; 132.449444
山号 無障山
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
法人番号 9240005000599 ウィキデータを編集
報専坊の位置(広島市旧市内内)
報専坊
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報専坊(ほうせんぼう)は、広島県広島市中区寺町にある浄土真宗本願寺派仏教寺院。江戸中期に慧雲が出て、学僧を育てた。原子爆弾で全壊。境内には被曝したイチョウの樹が残る。

歴史

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元弘元年(1331年)、安北郡勝木村行森(現 広島市安佐北区)にある菅澤山の麓にて創建された。もとは実相山法泉寺という真言宗の寺だったが、文明年間(1469年から1486年)に円佐という住侶が蓮如に帰依し、浄土真宗に帰入した。その後寺号を「報専坊」と改めた。元禄6年(1693年)、9代宗淳の時に現在の寺地に移った。

江戸時代中期には、芸轍(安芸学派)の祖とされる慧雲が住職となる。自坊に私塾・甘露社を設け、大瀛三業惑乱時の論客)や僧叡石泉学派の祖)ら多くの学僧を育てた。慧雲は神祗不拝を徹底するため門徒に神棚を撤廃させ「神棚おろしの報専坊」との異名をとった一方で、法事と食事を兼ねた僧侶と門徒の懇親会である「お寄り講」を集落単位に推進し、安芸門徒の結束をはかった。

本堂は1787年天明7年)建立の大伽藍であったが、1945年昭和20年)8月6日原子爆弾投下で全壊した。現在の本堂は、1993年(平成5年)に再建された。その際、イチョウの木を切るのもやむを得ないとの声も挙あがったが、住職らの願いにより保存されることになった。そのため本堂の階段は、イチョウの樹を包み込むような構造となっている。[1][2]

脚注

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  1. ^ 杉原梨江子「No.19 報専坊のイチョウ」『被爆樹巡礼 原爆から蘇ったヒロシマの木と証言者の記憶』実業之日本社、2015年。ISBN 978-4408008813https://books.google.co.jp/books?id=4qL6DAAAQBAJ&pg=PP29&lpg=PP29&dq=報専坊+広島&source=bl&ots=u0JhK9r-Tf&sig=hlrWX2fqIgdmFxjKqiyy13cazYE&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjLkPb-x_DPAhUBKpQKHco8DtM4HhDoAQgjMAE#v=onepage&q=報専坊%20広島&f=false2016年10月23日閲覧 
  2. ^ イチョウ (報専坊内) - ヒロシマをさがそう! 〜市民と作る被曝地図〜 NHK

参考資料

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