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堤重久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堤 重久(つつみ しげひさ、1917年8月21日 - 1999年1月31日[1])は、日本の文芸評論家京都産業大学名誉教授

太宰治の一番弟子で、著書に『太宰治との七年間』がある。

来歴

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東京新宿開業医の息子。旧制東京府立高等学校(後の東京都立大学)3年在学時、18歳のとき、『晩年』を読んで衝撃を受け、太宰治に心酔する。府立高の1級上で友人だった小田切秀雄の紹介で清水幾太郎の門人となる。

東京帝国大学(現・東京大学文学部独文科木村謹治相良守峯中島健蔵辰野隆に師事。大学在学中、平田次三郎山下肇小島輝正たちと共に「新思潮」に参加。

1940年初冬に太宰の門人となる。1942年大学卒業後は東大図書館に勤務しつつ、作家を志して長篇小説を執筆。

戦時中は外交官の伯父の勧めで外務省に勤務し、外交官試験の準備をする。太宰の死後は京都市に住み、京都産業大学で教えた。

人物

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  • 『晩年』など太宰の初期作品に比べて『人間失格』などの後期作品には否定的な立場を取った。
  • 堤康久前進座の俳優で、太宰に『正義と微笑』の材料となる日記を提供した。

著書

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脚注

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  1. ^ 日本著作権協議会『著作権台帳 文化人名録 第26版』日本著作権協議会、2001年、1709頁。