堤為量
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 1690年7月2日(元禄3年5月26日) |
死没 | 1754年3月21日(宝暦4年2月28日) |
別名 | 兼丸 |
官位 | 従五位上、左京権大夫 |
主君 | 東山天皇→中御門天皇→桜町天皇→桃園天皇 |
氏族 | 堤家 |
父母 | 父:堤為任 |
子 | 堤晴長 |
堤 為量(つつみ ためかず、1690年7月2日(元禄3年5月26日) - 1754年3月21日(宝暦4年2月28日))は、江戸時代の公家。初嶋大神宮の神主。堤家4代目当主。
生涯
[編集]右衛門佐・堤為任の子として生まれる。ただし町尻兼量の子ともいわれており諸説ある。幼名は兼丸。1703年1月6日(元禄16年11月19日)に叙爵を受けて従五位上となる[1][2]。
しかし1708年12月31日(宝永5年11月20日)に官位を返上し、摂津国尼崎(現在の兵庫県尼崎市)の初嶋大神宮の神主となる[1]。