堀秀重
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天文元年(1532年) |
死没 | 慶長11年11月28日(1606年12月27日) |
改名 | 太郎左衛門(幼名)、秀重 |
戒名 | 松林道伯東浄寺 |
墓所 | 新潟県上越市春日山町の林泉寺 |
官位 | 掃部大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 斎藤道三→織田信長 |
氏族 | 堀氏 |
父母 | 父:堀掃部大夫利房、母:不詳 |
兄弟 | 掃部太夫、秀重 |
子 | 秀政、多賀秀種、利重、三政、娘(生駒一正室)、娘(堀直重正室) |
天文元年(1532年)、堀掃部大夫(名前は不詳)の次男として生まれる。兄は父と同じく掃部太夫を称したが、脚気にかかって歩行が出来なくなり一向宗の僧となったので、秀重が家督を継いだ。はじめ斎藤道三、次いで織田信長に仕え、近江坂田郡に3000石、ほかに2000石の合計5000石を与えられた。
嫡男の秀政は信長の寵愛を受け、信長死後も豊臣秀吉に重用されて大名にまで栄進、秀重もその下で主に代官的な政務補佐を担当したが、1590年に秀政は早世。慶長3年(1598年)4月、孫の堀秀治が越後春日山30万石に移封されると、その後見役となり、秀吉から1万400石の所領を与えられた。
しかし、その秀治も慶長11年(1606年)5月に早世。秀重もその後を追うように11月28日に死去した。享年75。