堀祐平
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堀 祐平(ほり ゆうへい、1877年(明治10年)3月11日 - 1955年(昭和30年)1月5日)は、日本の実業家・政治家。
堀祐織物創業者。桐生体育協会初代会長。桐生市議会議員(4期)を務めた。
来歴
[編集]長野県上高井郡井上村(現在の須坂市)出身。20歳の頃、群馬県山田郡桐生町(現在の桐生市)に移住し機業を営む。緯糸に人造絹糸、経糸に絹糸を使用したリボン織を考案し、人絹織物の商品化に成功した[1]。
1925年(大正14年)5月10日、桐生市会議員に当選。1928年(昭和3年)4月1日、群馬県体育協会理事に就任。同年11月3日に桐生市体育協会長に就任。新川運動場(後の桐生新川球場、現在の新川公園)の建設を推進し、市内の体育施設の整備に尽力した。1953年(昭和28年)5月3日、新川運動場に堀祐平翁頌徳碑が建てられ、これを記念して第一回堀マラソン大会が開催された[2]。
桐生市巴町一丁目に織物工場と邸宅が残されており、旧堀祐織物工場は美容室に、旧邸宅は欧風料理店に改修されている。旧堀祐織物工場は2006年(平成18年)3月2日に、旧堀家住宅は2015年(平成27年)8月4日に国の登録有形文化財となっている[3]。