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堀浩哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀浩哉
生誕 (1947-09-28) 1947年9月28日(77歳)
日本の旗 日本 富山県高岡市
国籍 日本の旗 日本
教育 多摩美術大学除籍
著名な実績 絵画
影響を受けた
芸術家
岡本太郎[1]

堀 浩哉(ほり こうさい、1947年9月28日[2] - )は、日本画家多摩美術大学名誉教授。富山県高岡市生まれ。

人物

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主にキャンバスを支持体に、アクリル絵具、油絵具、岩絵具、和紙、オイルスティック、箔などを使った絵画作品を制作している。作家活動を始めた当初より、パフォーマンスも平行して行う。ユニット「堀浩哉+堀えりぜ」で活動するほか、NTTインターコミュニケーション・センター学芸員の畠中実も加わった「ユニット00」名義で活動していた時期もある。[3]

1977年にパリ青年ビエンナーレ、1984年にはベニスビエンナーレの日本代表の1人として参加。

富山県立高岡高等学校卒業[4]1966年に上京。多摩美術大学の受験に失敗するも1年浪人ののち、1967年に入学[5]学生運動が盛んであった当時、美術大学における学生組織「美術家共闘会議(美共闘)」を立ち上げ、議長を務めた。当時多摩美術大学の学生だった刀根康尚彦坂尚嘉宮本隆司石内都、山中信夫らが参加。入学した翌年に学生運動の責任を取って大学を除籍された。1971年に「美共闘Revolution」を結成[6] 。2002年に多摩美術大学美術学部絵画学科の教授に招聘され、その後13年間学生への指導にあたった。2014年退官記念展「堀浩哉展 起源」が多摩美術大学美術館で開催[3]。2015年に退官し、同大学名誉教授。[7]

文筆活動にも積極的で東北学に「美術という現場から」と題してVol.3からエッセイを連載している[8][9]

主な個展

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主なグループ展

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  • 1967年 自己埋葬儀式(銀座路上、東京)
  • 1969年 「第9回現代日本美術展」(東京都美術館京都市美術館
  • 1975年 「第10回ジャパン・アート・フェスティバル」(上野の森美術館、東京、オーストラリア、ニュージーランドへ巡回)
  • 1977年 「第10回パリ青年ビエンナーレ」(パリ市立近代美術館、フランス)
  • 1980年 「第1回ハラ・アニュアル`80年代への展望」(原美術館、東京)
  • 1984年 「第41回ベニスビエンナーレ」(イタリア)
  • 1989年 「ユーロパリア・ジャパン`89」(ゲント現代美術館、ベルギー)
  • 1992年 「70年代日本の前衛」(ボローニャ市立近代美術館、イタリア)
  • 1995年 「今日の日本」(ルイジアナ近代美術館、デンマーク他巡回)
  • 1997年 「韓・中・日現代美術展」(大邱文化センター、韓国)
  • 1998年 「釜山国際アートフェスティバル」(釜山市立美術館、韓国)
  • 1999年 「グローバル・コンセプチュアリズム」(クイーンズ美術館、アメリカ)
  • 2001年 「センチュリー・シティー」(テート・モダン、イギリス)
  • 2002年 「開館記念・熊本国際美術展ATTITUDE」(熊本市現代美術館
  • 2003年 「越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟)
  • 2004年 「四批評の交差」(多摩美術大学美術館、東京)
  • 2010年 「中・日現代美術展」(釜山市立美術館、韓国)
  • 2012年 「会津・漆の芸術祭-地の記憶 未来へ」(会津若松市、喜多方市、福島)
  • 2013年 「ミニマル/ポストミニマル-1970年代以降の絵画と彫刻」(宇都宮美術館、栃木)

脚注

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  1. ^ 林洋子「美術手帖」2007年12月号、美術出版社、p.173
  2. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.490
  3. ^ a b 展覧会カタログ『起源 堀浩哉』(多摩美術大学美術館、2014年)
  4. ^ 図画工作:客員教諭 堀浩哉高畠熱中小学校教諭紹介
  5. ^ 林洋子「美術手帖」2007年12月号、美術出版社、p.173-174
  6. ^ 黒瀬陽平「美術手帖」2015年8月号、美術出版社、p.176
  7. ^ 多摩美術大学教員業績公開システム 堀浩哉
  8. ^ 「東北学 Vol.3」(2000年)東北芸術工科大学東北文化研究センター、p.357
  9. ^ 「東北学 Vol.10」(2004年)東北芸術工科大学東北文化研究センター、p.305

外部リンク

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