堀榮助
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堀 榮助(ほり えいすけ、1871年7月13日(明治4年5月26日)[1] - 1940年(昭和15年)7月19日[2])は、日本の地主[1][3][4]、神奈川県多額納税者[4][5]、資産家[6][7][8]。族籍は神奈川県平民[7][8]。前名・三郎[4]。
人物
[編集]神奈川県横浜市出身。先代榮助の長男[4][6]。1892年、東京専門学校(現早稲田大学)邦語政治科卒業[3]。同期卒業生46人中第4位であった[6]。1902年、父が病没したため家督を相続し、三郎を改め襲名した[6]。
貸地業を営んだ[5][9]。北海道、朝鮮に土地を有し、多額納税者であった[3]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[9]。
宗教は日蓮宗[1][3]。趣味は読書、俳句[1][3]。住所は神奈川県横浜市中区英町[8]、同市神奈川区浅間町[4][9]。
家族・親族
[編集]- 堀家
- 父・榮助(旧越後長岡藩士[6]、神奈川平民[7]) - 父・榮助は旧越後長岡藩士で、安政年間故あって神奈川奉行所に入り、以来横浜に居住した[6]。明治初年蠣灰石灰その他の雑業を営み、傍ら金融事業に従事した[6]。
- 母・サダ(1857年 - ?、新潟、田澤重吉の長女)[8]
- 妻
- 嗣子・敦(1901年 - ?)[1][3]
- 二男・瑛(1902年 - ?)[6][8]
- 三男・喬(1904年 - ?)[1][3][6]
- 四男・功(1905年 - ?)[6][8]
- 六男・㐮(1909年 - ?)[1][3][6]
- 七男・允(1910年 - ?)[1][3][6]
- 八男(1913年 - ?)[1][3]
- 九男(1918年 - ?)[1][3]
- 十男(1923年 - ?)[1][3]
- 十一男(1925年 - ?)[1][3]
- 十二男(1927年 - ?)[1][3]
- 長女(1912年 - ?)[1][3]
- 二女(1921年 - ?)[1][3]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』神奈川82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。
- ^ 「(死亡広告)父堀栄助儀」『朝日新聞』1940年7月21日、4面。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』756頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第10版 下』ホ21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『大正人名辞典』588頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月30日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第6版』ほ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』ほ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。
- ^ a b c 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。