堀孝之
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堀 孝之(ほり たかゆき、1844年 - 1911年9月17日[1])は、江戸時代後期(幕末)から明治にかけてのオランダ語通訳(通詞・通事)。薩摩藩英国留学生に通訳として参加し渡欧した[2]。別名、壮十郎、宗十郎、宗次郎[3][4]。堀豊彦は孫[5]。
人物・経歴
[編集]長崎出身[2]。オランダ語通詞(蘭通詞)の堀達之助の次男として生まれる[6]。
1865年(慶應元年)4月、薩摩藩英国留学生に通訳として参加し、新納久脩・五代友厚・寺島宗則とともにヨーロッパ各国を回り、1866年(慶応2年)3月に帰国[2]。
1867年(慶應3年)、薩摩藩のパリ万博使節団に秘書として参加。ただし、堀は実際には香港まで同行したが、そこから帰国し実際にはパリには行っていないとされる[3][7]。
五代友厚の長崎海軍伝習所時代から親交があったとされ、五代が実業界に転進してからは五代の事業を助け、五代の死後は遺族の世話をしていたといわれる[2][4]。
1911年(明治44年)9月17日、脳溢血のため死去[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 堀孝彦・谷澤尚一「堀達之助研究ノート(その十二)―長男・政正と「町の学者」孝之―」(『名古屋学院大学論集』第33巻第1号 社会科学篇(名古屋学院大学総合研究所、1996年)p.51)
- ^ a b c d 薩摩藩英国留学生記念館 『堀孝之(ほりたかゆき)』
- ^ a b Satsuma1867 『秘書 堀壮十郎』
- ^ a b 若き薩摩の群像を完成させる会 『堀 孝之 ~薩摩藩英国留学生通訳~』
- ^ 『名古屋学院大学論集』第33巻第1号 社会科学篇(名古屋学院大学総合研究所、1996年)p.49
- ^ 日本通訳翻訳学会 第10回年次大会基調講演 『通詞と「対訳」辞書―堀達之助をめぐって』 堀 孝彦
- ^ Satsuma1867 『幕府使節と薩摩藩使の確執』