埴原八蔵
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時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 1615年6月4日(慶長20年5月8日) |
別名 | 政直、政宣 |
主君 | 豊臣秀吉→豊臣秀頼 |
氏族 | 埴原氏 |
父母 | 埴原次郎右衛門儡線 |
兄弟 | 埴原三十郎 |
子 | 稲田次郎四郎 |
埴原 八蔵(はいばら はちぞう)は、安土桃山時代の武将。大坂の陣で自害した。
経歴
[編集]父の次郎右衛門儡線は豊臣秀吉の馬廻りであった。八蔵は、秀頼の小姓を務め、知行は800石であった[1]。1615年6月4日(慶長20年5月8日)大坂城落城時、城内で豊臣秀頼、淀殿ら33人と共に自害した[2]。大坂城内に建てられている秀頼・淀殿ら自刃の地の碑にその名が残る[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大阪墓碑人物事典 (近松誉文 東方出版)
- 大坂の役<冬・夏>(日本の戦史・第7刊)