城親賢
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正9年12月29日(1582年1月23日) |
別名 | 十郎太郎[1]、親政 |
墓所 | 熊本県熊本市西区岳林寺 |
官位 | 越前守 |
主君 | 大友氏→島津氏 |
氏族 | 城氏 |
父母 | 父:城親冬[1] |
兄弟 | 親賢、親基、隆房[要出典] |
子 | 冬基(久基)、武房[要出典] |
城 親賢(じょう ちかまさ)は、戦国時代の武将。はじめ大友氏、のち島津氏家臣。
経歴・人物
[編集]城氏は肥後山鹿郡城村を根拠地とする菊池一族。父親冬の代から隈本城主となり、親賢は嫡子として城主を継ぐ[1]。天正6年(1578年)耳川の戦いにて大友宗麟が島津義久勢に敗れ衰退し、隈部氏は龍造寺氏との結びつきを強めていく。[要出典]肥後国内にて勢力を伸ばす龍造寺氏に脅威を感じ、同年大友氏方から島津氏方に転じる[1]。同8年(1580年)島津勢と共に国内計策を行い甲斐宗運と戦うが敗退。[要出典]翌年の天正9年(1581年)肥前竜造寺氏の侵入に屈し、年末死去[1]。熊本市の植木市の始祖といわれる[1]。