坪井九八郎
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坪井 九八郎(つぼい くはちろう、1876年(明治9年)8月27日[1])- 1928年(昭和3年)10月7日[1][2])は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]海軍士官・坪井航三の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1898年(明治31年)2月15日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
1919年(大正8年)7月、京都帝国大学法科大学を卒業[3][5]。その後、月島機械取締役、台東製糖取締役、愛国貯金銀行取締役、天津取引所監査役、天津信託監査役などを務めた[3]。
1911年(明治44年)3月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、公正会に所属して活動し[2]、死去するまで4期在任した[2]。その他、第2次大隈内閣・農商務副参政官、米価調節調査会委員などを務めた[2][3]。
坪井家は九八郎の没後に襲爵手続を行わず、1931年9月に華族の栄典を喪失した[1][8]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』116-117頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』78頁。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第8版』ツ45-46頁。
- ^ 『官報』第4384号、明治31年2月16日。
- ^ 『京都帝国大学一覧 明治43-44年』京都帝国大学、1911年、卒業生姓名46頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、19頁。
- ^ 『官報』第8314号、明治44年3月13日。
- ^ 『官報』第1418号、昭和6年9月18日。
- ^ 『官報』第5842号「叙任及辞令」1902年12月22日。
- ^ 『官報』第21号「叙任及辞令」1927年1月25日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 坪井航三 |
男爵 坪井(航三)家第2代 1898年 - 1928年 |
次代 栄典喪失 |