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坤儀公主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坤儀公主
続柄 崇禎帝第一皇女

称号 坤儀公主
身位 公主
出生 1630年12月2日崇禎3年10月29日)
父親 崇禎帝
母親 周皇后
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坤儀公主(こんぎこうしゅ、1630年12月2日崇禎3年10月29日[1]) - ?)は、公主。明の最後の皇帝である崇禎帝の長女である。母は周皇后

崇禎帝の実録起居注は編まれておらず、坤儀公主の没年について記録が混乱している。一説に1644年4月24日夜間に父の手で負傷した[2]、あるいは父の手で斬殺されたとされる[3]が、これは長平公主昭仁公主(共に坤儀公主の妹)との混同と考えられる。

参考文献

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  • 明史』列伝第9 公主伝 坤儀公主,周皇后生。追諡。
  • 『烈皇小識』
  • 『崇禎長編』
  • 『欽定續文献通考』愍帝六女:坤儀公主、周皇后生。早薨。

脚注

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  1. ^ 『崇禎長編』:「崇禎三年庚午十月甲戌、皇第一女生、中宮出、是為坤儀公主。」
  2. ^ 『烈皇小識』:「坤儀公主在旁哭不已。上叱之曰:『汝奈何生我家』?亦刃之、公主以手仰格、臂断」
  3. ^ 『甲申伝信録』:「時已二鼓、上巡寿寧宮。長公主年甫十五、上目怒之。曰:『胡為生我家』?欲刃之、手不能挙。良久、忽揮剣断公主右臂而撲、並刃坤儀公主於昭仁殿。」