坤儀公主
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坤儀公主 | |
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続柄 | 崇禎帝第一皇女 |
称号 | 坤儀公主 |
身位 | 公主 |
出生 |
1630年12月2日(崇禎3年10月29日) |
父親 | 崇禎帝 |
母親 | 周皇后 |
坤儀公主(こんぎこうしゅ、1630年12月2日(崇禎3年10月29日[1]) - ?)は、明の公主。明の最後の皇帝である崇禎帝の長女である。母は周皇后。
崇禎帝の実録と起居注は編まれておらず、坤儀公主の没年について記録が混乱している。一説に1644年4月24日夜間に父の手で負傷した[2]、あるいは父の手で斬殺されたとされる[3]が、これは長平公主や昭仁公主(共に坤儀公主の妹)との混同と考えられる。
参考文献
[編集]- 『明史』列伝第9 公主伝 坤儀公主,周皇后生。追諡。
- 『烈皇小識』
- 『崇禎長編』
- 『欽定續文献通考』愍帝六女:坤儀公主、周皇后生。早薨。