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坊野竜也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坊野 竜也
名前
カタカナ ボウノ タツヤ
ラテン文字 BONO Tatsuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-04-27) 1967年4月27日(57歳)
身長 175cm[1]
体重 68kg[1]
選手情報
ポジション FW
ユース
1980-1982 日本の旗 錦ヶ丘中学[2]
1983-1985 日本の旗 九州学院高校[2]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1992 日本の旗 松下電器/ガンバ大阪
1993-1994 日本の旗 大塚製薬
1995-2001 日本の旗 大塚クラブ
2002-2005 日本の旗 徳島FCカバロス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

坊野 竜也(ぼうの たつや、1967年4月27日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード

来歴

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九州学院高校3年時の1985年に高校総体に出場、決勝の室蘭大谷高校戦での2得点を含め10得点をあげて初優勝に貢献した[3]。冬の高校選手権にも出場し、「今大会注目のセンターフォワード」と称されたが[2]、初戦敗退[3]

卒業後の1986年、日本サッカーリーグ (JSL) の松下電器産業サッカー部に加入。1988-89シーズンのJSL1部第14節で初出場初得点を記録[4]。JSL1部通算9試合に出場し1得点を記録した[5]

1992年、プロ化によりガンバ大阪へ移行後もチームに在籍[6][7]したが、同年限りで退団[8]

1993年からはジャパンフットボールリーグ大塚製薬サッカー部へ移籍し、2シーズンプレーした。1995年からは大塚クラブに移籍、2001年までプレーした。この間に徳島県選抜に選出され、2度の国体成年男子1部優勝(1993年、1999年)を経験した[7]。2002年からは徳島県サッカーリーグの徳島フットボールクラブ・カバロス2002(後の徳島ヴォルティス・セカンド)で選手兼監督としてプレー。2005年までクラブに在籍した。

引退後は47都道府県サッカー協会 (47FA) ユースダイレクターとして、徳島県下のジュニア年代からシニア年代の指導に携わっている[7]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1986-87 松下 25 JSL1部 0 0 0 0 0 0 0 0
1987-88 JSL2部 1 1 0 0
1988-89 JSL1部 5 1 0 0 0 0 5 1
1989-90 19 2 0 0 0 0 0 2 0
1990-91 1 0 1 0 0 0 2 0
1991-92 28 1 0 0 0 0 0 1 0
1992 G大阪 - J - 0 0
1993 大塚 旧JFL -
通算 日本 J 0 0 0 0
日本 JSL1部 9 1 0 0 0 0 10 1
日本 JSL2部 0 0 1 1
日本 旧JFL -
総通算

その他の公式戦

脚注

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  1. ^ a b 日本サッカーリーグ編『1991-1992 JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ、1991年、39頁。 
  2. ^ a b c 「昭和60年度第64回全国高等学校サッカー選手権大会 展望&ガイド」『サッカーダイジェスト』 1986年2月号別冊付録、日本スポーツ企画出版社、47頁。 
  3. ^ a b 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー100年』講談社、2019年、174頁。ISBN 978-4-06-220356-2 
  4. ^ 日本サッカーリーグ編『日本サッカーリーグ・Year book '91-'92』日本サッカーリーグ、1991年、95頁。 
  5. ^ 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、254頁。 
  6. ^ 「Jリーグ・カップ登録メンバーリスト」『サッカーマガジン』 1992年10月号、ベースボール・マガジン社、89頁。 
  7. ^ a b c チーム紹介 第3回全国シニア(40歳以上)サッカー大会”. JFA.jp. 2020年1月15日閲覧。
  8. ^ 『ガンバ大阪15年史』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK〉、2007年、68頁。ISBN 978-4-583-61463-2 

関連項目

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外部リンク

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