坂田道男
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坂田道男 さかた みちお | |
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生年月日 | 1887年5月18日 |
出生地 |
日本 熊本県八代郡植柳村 (現熊本県八代市) |
没年月日 | 1973年1月4日(85歳没) |
出身校 |
東京帝国大学法科大学独逸法科卒業 (現東京大学法学部) |
前職 |
第五高等学校教授 (現熊本大学) |
所属政党 |
(立憲政友会→) 無所属 |
子女 | 長男・坂田道太 |
選挙区 | 熊本県第2選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1937年 - 1942年4月29日 |
当選回数 | 2回(公選) |
在任期間 |
1940年9月1日 - 1946年11月 1955年5月1日 - 1963年4月30日 |
坂田 道男(さかた みちお、1887年(明治20年)5月18日[1] - 1973年(昭和48年)1月4日)は、日本の政治家(元衆議院議員)、教育者で八代市長、名誉市民。長男は防衛庁長官、衆議院議長を務めた坂田道太。
略歴
[編集]熊本県八代郡植柳村(現在の八代市)に生まれる。父は明治新田製造の功労者たる坂田貞である。 八代中学校(現・熊本県立八代中学校・高等学校)時代から秀才の誉れが高かった。1905年(明治38年)9月、第五高等学校第一部独法科に入学する。 1908年(明治41年)7月、同科を卒業し、ただちに東京帝国大学法科大学独逸法科に入学する。 1912年(明治45年)7月、同大学を卒業する。 1913年(大正2年)9月、第五高等学校教授(法制経済・独逸語担当)に任ぜられる。 1920年(大正9年)9月、経済学研究のためドイツ・イギリス・アメリカへ1年半の私費留学に出発する。 1923年(大正12年)3月、五高教授を退職する。以後、政界で活躍し、ことに郷里八代の発展に尽くした。植柳村議、熊本県議などを経て[2]、1937年(昭和12年)から熊本県選出の政友会代議士を1期務めた。1940年(昭和15年)、初代八代市長に就任し、1946年(昭和21年)まで務めた。 戦後、公職追放となり[3]、追放解除後の1955年(昭和30年)から再び八代市長を2期務めた。
このほか植柳漁業組合長、八代郡水産会評議員、同農会長、同実業団体連合会長、九州木材防腐(株)社長を務めた[2]。
エピソード
[編集]著作
[編集]- 「わが道わが家」エッセ-編集刊行会 / 鹿島研究所出版会、1968年
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。