坂本大造
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坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12月8日[1] - 1964年(昭和39年)7月29日[1][2])は、大正から昭和期の造船技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]本籍・長野県[2]。海軍士官・坂本俊篤の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1941年(昭和16年)6月2日、男爵を襲爵した[1][3][5]。
1916年(大正5年)早稲田大学理工科[注 1]を卒業した[2][3]。同年、横浜船渠に入社[2]。その後、石川島造船所に移り、工作部鍛錬工場長、鋳鍛部部長代理などを務めた[2]。
1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』72頁では理工学部。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』1942年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 坂本俊篤 |
男爵 坂本(俊篤)家初代 1941年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |