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坂口卓司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さかぐち たくじ
坂口 卓司
プロフィール
出身地 日本の旗 日本福岡県飯塚市
生年月日 (1961-03-25) 1961年3月25日(63歳)
最終学歴 西南学院大学
職歴 RKB毎日放送(1983年 - 2014年)
活動期間 1983年 -
著名な家族 荒戸完ディスクジョッキー、実子)
出演番組・活動
出演中 二丁目お茶の間劇場
タクジと歩く25分。
出演経歴 渡辺通り4丁目ラジオ青年団
坂口卓司のラジコミ。など

坂口 卓司(さかぐち たくじ、1961年3月25日[1] - )は、ラジオパーソナリティ。元RKB毎日放送アナウンサー。

来歴

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福岡県飯塚市で生まれ、嘉穂郡稲築町筑穂町に転居。福岡県立嘉穂高等学校卒業までを嘉穂地域で過ごした[1]。ちなみに、市町村合併により、稲築町は嘉麻市に、筑穂町は彼の生地でもある飯塚市に変わった。中学生・高校生時代は本気で音楽家を目指したいと思っていたこともありブラスバンド部に所属、音楽大学も受験していたが、親から「音楽では飯は食えない」と言われたことで音楽大学は断念[2]西南学院大学に入学。大学1年の頃は音楽家の道に未練がまだあったこともあって「ボロボロな心境」だったという[2]。その後「自分でいい曲を紹介してみたい」と思ってアナウンス研究会に所属[1]。アナウンス研究会時代の3年先輩に抜群にしゃべりが上手かった人がおり、「この人みたいになりたい」と思うようになって本格的にアナウンサーを目指すようになる。また、同じく3年先輩の和田安生九州朝日放送に入社を決めたのを間近で見て「背中を押された気がした」とも話している[2]。同大学卒業後の1983年入社、ラジオを中心に活躍した。

筑豊出身ながら、西南大入学後から博多祇園山笠にのめりこみ、“仕事を兼ねて”参加していた。ちなみにRKBはNHK福岡放送局九州朝日放送ともどもクライマックスの追い山をテレビ中継しており、RKBにおける橋渡しの役目も担っていた。

2006年10月、人事異動によりアナウンスに籍を置きつつも制作畑へ配置転換となり、23年半に亘ったアナウンサー生活に事実上終止符を打った。その後完全にアナウンスから離れラジオ番組の制作にかかわってきたが、2014年4月に、久々に番組パーソナリティに復帰した。

全日本スキー連盟認定のスキーライセンスを持っている[1]

ZIP-FMなどでディスクジョッキーを務めている荒戸完は実子[2]

出演番組

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ラジオ

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過去の担当番組

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脚注

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  1. ^ a b c d e f DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、282頁。
  2. ^ a b c d ラジオライフ三才ブックス)2020年11月号 p.10-13「坂口卓司 DJ interview」より。

外部リンク

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