駐日ドイツ大使
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(在日本ドイツ国大使から転送)
駐日ドイツ大使(ちゅうにちドイツたいし)は、ドイツより日本に派遣された特命全権大使である。本項目ではプロイセン王国、ドイツ国(ドイツ帝国、ヴァイマル共和政、ナチス・ドイツ)およびドイツ連邦共和国(西ドイツ時代を含む)、ドイツ民主共和国(東ドイツ)から日本に派遣、駐在する最高位の外交官について記述する。
1863年(文久2年)に当時のプロイセン王国から派遣された領事が最初の駐日ドイツ外交使節であった。以後は最高位が公使の時代が40年あまり続き、大使が派遣されたのは1906年(明治39年)からである。第一次世界大戦と第二次世界大戦中の一時的な外交関係の途絶の期間を挟んで現在に至る。
歴代大使の一覧
[編集]プロイセン王国領事・公使
[編集]就任年月日 | 職位(日本語) | 職位 | 名前 |
---|---|---|---|
1863年1月19日 (文久2年11月30日) |
領事 | Consul | マックス・フォン・ブラント |
1867年2月2日 (慶応2年12月28日) |
代理公使 | Chargé d'affaires | マックス・フォン・ブラント |
1868年7月20日 (慶応4年6月1日) |
総領事 | Consul general | マックス・フォン・ブラント |
1869年1月5日 (明治元年11月23日) |
代理公使 | Chargé d'affaires | マックス・フォン・ブラント |
ドイツ国公使・大使(ドイツ帝国時代)
[編集]ドイツ帝国と日本の外交関係は第一次世界大戦への日本参戦により途絶している。
就任年月日 | 職位(日本語) | 職位 | 名前 |
---|---|---|---|
1871年6月 (明治4年4月14日-5月13日) |
代理公使 | Chargé d'affaires | テオドール・フォン・ホレーベン |
1873年(明治6年)3月30日 | 弁理公使 | Chargé d'affaires | マックス・フォン・ブラント |
1875年(明治8年)2月 | 代理公使 | Chargé d'affaires | Eduard Zappe |
1875年(明治8年)4月 | 代理公使 | Chargé d'affaires | テオドール・フォン・ホレーベン |
1875年(明治8年)12月3日 | 弁理公使 | Chargé d'affaires | カール・フォン・アイゼンデヒャー |
1878年(明治11年)4月 | 代理公使 | Chargé d'affaires | Felix Freiherr von Gutschmid |
1880年(明治13年)4月24日 | 特命全権公使 | Minister Plenipotentiary | Otto Graf von Dönhoff |
1880年(明治13年)6月14日 | 特命全権公使 | Minister Plenipotentiary | カール・フォン・アイゼンデヒャー |
1886年(明治19年)3月11日 | 特命全権公使 | Minister Plenipotentiary | テオドール・ホレーベン |
1892年(明治25年)12月10日 | 特命全権公使 | Minister Plenipotentiary | Felix Freiherr von Gutschmid |
1897年(明治30年)3月3日 | 臨時代理公使 | Chargé d'affaires ad interim | Karl Georg von Treuter |
1898年(明治31年)3月29日 | 特命全権公使 | Minister Plenipotentiary | Kasimir Graf von Leyden |
1900年(明治33年)5月23日 | 臨時代理公使 | Chargé d'affaires ad interim | Georg von Wedel |
1901年(明治34年)5月10日 | 特命全権公使 | Minister Plenipotentiary | エメリッヒ・フォン・アルコ・アオフ・ファーライ |
1906年(明治39年)2月28日 | 臨時代理公使 | Chargé d'affaires ad interim | Friedrich Carl von Erckert |
1906年(明治39年)5月22日 | 特命全権大使 | Ambassador | アルフォンス・ムム・フォン・シュワルゼンシュタイン |
1911年(明治44年)4月19日 | 特命全権大使 | Ambassador | Arthur Graf Rex |
ドイツ国大使(ヴァイマル共和政時代)
[編集]就任年月日 | 職位(日本語) | 職位 | 名前 |
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1920年(大正9年)8月1日 | 代理大使 | Chargé d'affaires | ヴィルヘルム・ゾルフ |
1921年(大正10年)2月26日 | 特命全権大使 | Ambassador | ヴィルヘルム・ゾルフ |
1928年(昭和3年)12月16日 | 臨時代理大使 | Chargé d'affaires ad interim | Arthur von Schoen |
1929年(昭和4年)1月1日 | 特命全権大使 | Ambassador | Ernst Arthur Voretzsch |
ドイツ国大使(ナチス・ドイツ時代)
[編集]1945年(昭和20年)5月8日、ナチ政権が連合国に対し無条件降伏した後、同年6月8日に日本政府はドイツ政府がもはや存在していないとして大使館並びに領事館の職務停止を通告している[1]。ただし、同年7月時点において日本政府は「独逸国大使」ハインリヒ・ゲオルク・スターマー」宛に大使館跡地を外務省の管理下に移すことを要請している[2]。
就任年月日 | 職位(日本語) | 職位 | 名前 |
---|---|---|---|
1933年(昭和8年)12月 | 臨時代理大使 | Chargé d'affaires ad interim | Willey Noebel |
1933年(昭和8年)12月27日 | 特命全権大使 | Ambassador | ヘルベルト・フォン ディルクセン |
1938年(昭和13年)2月 | 臨時代理大使 | Chargé d'affaires ad interim | Willey Noebel |
1938年(昭和13年)4月28日 | 特命全権大使 | Ambassador | オイゲン・オット |
1943年(昭和18年)2月4日 | 特命全権大使 | Ambassador | ハインリヒ・ゲオルク・スターマー |
ドイツ連邦共和国大使
[編集]就任年月日 | 職位(日本語) | 職位 | 名前 |
---|---|---|---|
1952年(昭和27年)4月28日 | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | ハインリッヒ・ノルテ |
1955年(昭和30年)5月19日 | 特命全権大使 | Ambassador | ハンス・クロル |
1958年(昭和33年)5月13日 | 特命全権大使 | Ambassador | ウィルヘルム・ハース(1896生) |
1961年(昭和36年)12月10日 | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | フリッツ・V・ブリーゼン |
1962年(昭和37年)3月10日 | 特命全権大使 | Ambassador | ヘルベルト・ディットマン |
1965年(昭和40年)1月19日 | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | ヴァルター・ボス |
1966年(昭和41年)3月18日 | 特命全権大使 | Ambassador | フランツ・クラップフ |
1971年(昭和46年)3月26日 | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | ハインリッヒ・カール・フランツ・ローレケ |
1971年(昭和46年)4月5日 | 特命全権大使 | Ambassador | ウィルヘルム・グリュー |
1976年(昭和51年)10月9日 | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | ハルトムート・シュルツェ=ボイゼン |
1977年(昭和52年)3月23日 | 特命全権大使 | Ambassador | ギュンター・O・ディール |
1981年(昭和56年)4月20日 | 特命全権大使 | Ambassador | クラウス・W・G・ブレッヒ |
1984年(昭和59年)7月10日 | 特命全権大使 | Ambassador | ヴァルター・ボス |
1986年(昭和61年)10月22日 | 特命全権大使 | Ambassador | ハンス=ヨアヒム・ハリアー |
1990年(平成2年)2月28日 | 特命全権大使 | Ambassador | ウィルヘルム・ハース(1931生) |
1994年(平成6年)7月11日 | 特命全権大使 | Ambassador | ハインリッヒ=ディートリッヒ・ディークマン |
1997年(平成9年)9月22日 | 特命全権大使 | Ambassador | フランク・エルベ |
1999年(平成11年)9月22日 | 特命全権大使 | Ambassador | ウーヴェ・ケストナー |
2001年(平成13年) | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | フォルクマー・ヴァルター・オットー・シュテカー |
2001年(平成13年)12月22日 | 特命全権大使 | Ambassador | ヘンリク・シュミーゲロー |
2006年(平成18年)7月1日 | 特命全権大使 | Ambassador | ハンス=ヨアヒム・デア |
2009年(平成21年)10月21日 | 特命全権大使 | Ambassador | フォルカー・シュタンツェル |
2014年(平成26年) | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | シュテファン・ヘルツベルク |
2014年(平成26年)4月9日 | 特命全権大使 | Ambassador | ハンス・カール・フォン・ヴェアテルン |
2019年(令和元年)6月30日 | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | クラウス・フィーツェ |
2019年(令和元年)12月11日[3] | 特命全権大使 | Ambassador | イナ・レーペル |
2021年(令和3年)9月6日 | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | クラウス・フィーツェ |
2021年(令和3年)10月21日[4] | 特命全権大使 | Ambassador | クレーメンス・フォン・ゲッツェ |
2024年(令和6年)7月27日 | 臨時代理大使 | Chargés d'affaires ad interim | マーティン・ヒュート |
2024年(令和6年)10月28日[5] | 特命全権大使 | Ambassador | ペトラ・ベッティーナ・ジグムント |
ドイツ民主共和国大使
[編集]ドイツ民主共和国(東ドイツ)の大使。ドイツ再統一により東ドイツ大使館の機能と資産は連邦共和国に受け継がれた。
名前 | 在任期間 | 職位 | 職位(日本語) |
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ジークフリート・フィッシャー (* 1934年-) | 1973年(昭和48年)–1974年(昭和49年)[6] | Geschäftsträger | 臨時代理大使 |
ホルスト・ブリエ (1923年–2014年) | 1974年(昭和49年)–1982年(昭和57年)[7] | Botschafter | 特命全権大使 |
ハンス=ディーター・イェーガー (* 1936年-) | 1982年(昭和57年)–1988年(昭和63年) | Botschafter | 特命全権大使 |
マンフレット・ シュミット (* 1930年-) | 1988年(昭和63年)–1990年(平成2年) | Botschafter | 特命全権大使 |
脚注
[編集]- ^ 「21.独逸大使館及領事館職務執行停止ニ関スル件」 アジア歴史資料センター Ref.B14090613800
- ^ 「20.独逸国大使館防空壕及大使館焼跡ニ関スル件」 アジア歴史資料センター Ref.B14090613700
- ^ “信任状捧呈式(デンマーク,ドイツ)(宮殿)”. 宮内庁 (2019年12月11日). 2021年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月19日閲覧。
- ^ “信任状捧呈式(ドイツ,パプアニューギニア)(宮殿)”. 宮内庁 (2021年10月21日). 2021年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月16日閲覧。
- ^ “駐日ドイツ連邦共和国大使信任状捧呈”. 外務省 (2024年10月28日). 2024年11月6日閲覧。
- ^ "DDR-Japan. Ziemlich verfrüht", Der Spiegel (ドイツ語), no. 21, 197321. Mai 1973
- ^ Andreas Herbst: Brie, Horst. In: Wer war wer in der DDR? 5. Ausgabe. Band 1, Ch. Links, Berlin 2010, ISBN 978-3-86153-561-4.