土生彰
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土生 彰(はぶ あきら、元治元年2月22日[1](1864年3月29日) – 1943年(昭和18年)7月20日)は、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、福井県武生町長。ジャーナリスト。
経歴
[編集]越前国南条郡武生(現在の福井県越前市)に初代武生町長となる土生忠の子として生まれる[1]。京都で漢学などを学んだ後[1]、福井県師範学校を卒業した[2]。「富山日報」「福井新報」、日刊新聞「福井」の主筆を務めた[2]後、1898年(明治31年)に武生町長に就任した[3]。翌年に町長を辞して、「若越新聞」「福井新聞」に筆を執った[2]。1911年(明治44年)より県会議員。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。1期務めた後の1930年(昭和5年)に武生町長に再任された[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新興日本名士録』帝国時事通信社、1927年。
- 『福井県南条郡誌』南条郡教育会、1934年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。