土志田與助
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土志田 與助(としだ よすけ、旧姓・鈴木、1873年(明治6年)11月7日[1] - 没年不明)は、日本の商人(松屋、米穀商)[1][2]、実業家。紀伊土地社長[2][3]。相模鉄道、帝国塗料各監査役[1][2]。族籍は東京府平民[1]。
人物
[編集]神奈川県人・鈴木佐兵衛の二男[3]。先代與助の養子となり1897年、家督を相続し、前名與吉を改め襲名する[3]。白米商を営み傍ら会社の重役である[3]。住所は東京市京橋区銀座1丁目[2][3]。現在は賃貸業を営み、土志田ビルとなっている。
家族・親族
[編集]- 養父・與助[3]
- 養妹・まき(1884年 - ?、東京、千葉恒次郎の妻)[3]
- 妻・千代(1890年 - ?、養父・與助の五女)[3]
- 長男・真次郎(1907年 - ?、明治大学卒業)[3]
- 次男・孝之助(1910年 - ?、慶應義塾大学出身で、柔道部に在籍していた)[3]
- 親戚
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。