土師根麻呂
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土師 根麻呂(はじ の ねまろ、生没年不詳)は、飛鳥時代の貴族。姓は宿禰。官位は直広参・判事。
経歴
[編集]持統天皇3年(689年)2月に竹田王・大宅麻呂・藤原不比等・当麻桜井・穂積山守・中臣意美麻呂・巨勢多益須・大神安麻呂とともに判事に任命される(この時の冠位は直広肆)。同年5月に草壁皇子弔問のために訪日した新羅使の金道那(こんどうな)らに、先年の天武天皇の弔問の際も含めての新羅側の無礼(孝徳天皇・天智天皇の弔問の時と使者の身分が異なっている、船の数が1艘のみなど)を責める持統天皇の詔を伝えている[1]。
文武天皇3年(699年)衣縫王・当麻国見・田中法麻呂とともに、判官4人・主典2人・大工2人を率いて、斉明天皇の山陵とされる越智山陵修造使として派遣された(このときの冠位は直広参)。
官歴
[編集]『六国史』による。
脚注
[編集]- ^ 『日本書紀』持統天皇3年5月22日条