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土岐頼布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土岐頼布
時代 江戸時代後期
生誕 安永4年12月28日1775年1月19日
死没 天保8年3月8日1837年4月12日
墓所 東京都品川区北品川東海寺春雨庵
官位 従五位下山城守美濃守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
上野沼田藩
氏族 土岐氏
父母 父:土岐定経、母:不詳
養父:土岐定富
兄弟 頼相頼寛定吉定富定考頼布井上正定継室、磯ら
松平忠祇の娘
土岐頼功養女、
養子:頼潤
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土岐 頼布(とき よりのぶ)は、江戸時代後期にかけての大名上野国沼田藩の第7代藩主。官位従五位下山城守美濃守。沼田藩土岐家10代。

生涯

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第3代藩主・土岐定経の七男として誕生した。

父の死後、天明2年(1782年)から寛政2年(1790年)までの間に頼寛定吉定富と3人の兄が次々に家督を継いだがいずれも早世し、頼布がその跡を継いだ。

文化10年(1813年)3月19日、養嗣子の頼潤に家督を譲って隠居し、天保8年(1837年)3月8日に63歳で死去した。

系譜

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父母

正室

子女

養子