土岐頼布
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永4年12月28日(1775年1月19日) |
死没 | 天保8年3月8日(1837年4月12日) |
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺春雨庵 |
官位 | 従五位下、山城守、美濃守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 上野沼田藩主 |
氏族 | 土岐氏 |
父母 |
父:土岐定経、母:不詳 養父:土岐定富 |
兄弟 | 頼相、頼寛、定吉、定富、定考、頼布、井上正定継室、磯ら |
妻 | 松平忠祇の娘 |
子 |
土岐頼功養女、 養子:頼潤 |
土岐 頼布(とき よりのぶ)は、江戸時代後期にかけての大名。上野国沼田藩の第7代藩主。官位は従五位下・山城守、美濃守。沼田藩土岐家10代。
生涯
[編集]第3代藩主・土岐定経の七男として誕生した。
父の死後、天明2年(1782年)から寛政2年(1790年)までの間に頼寛、定吉、定富と3人の兄が次々に家督を継いだがいずれも早世し、頼布がその跡を継いだ。
文化10年(1813年)3月19日、養嗣子の頼潤に家督を譲って隠居し、天保8年(1837年)3月8日に63歳で死去した。
系譜
[編集]父母
正室
- 橘 - 松平忠祇の娘
子女
養子