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土岐頼元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土岐 頼元
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 生年不詳
死没 慶長13年10月19日1608年11月26日
改名 頼元→道庵
別名 頼重、通称:五郎左衛門
官位 越前守
幕府 江戸幕府旗本
主君 斎藤道三義龍龍興武田信玄豊臣秀吉秀頼徳川家康秀忠
氏族 土岐氏
父母 父:土岐頼芸、母:六角定頼
兄弟 頼栄頼次頼宗頼元
持益
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土岐 頼元(とき よりもと)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将土岐頼芸の四男。別名は頼重。斎藤頼元とも。通称は五郎左衛門、越前守、号は道庵。

経歴

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美濃国守護大名・土岐頼芸の四男として誕生。母は六角定頼の娘。兄に頼次

父・頼芸が家臣の斎藤道三に追放されたとき、幼少だったために斎藤家の扶助を受けることを許された。斎藤家滅亡後は各地を転々とし、武田家豊臣家、そして徳川家に仕えて、土岐氏の家名を存続した。豊臣秀吉から河内古市郡内に500石を与えられた。関ヶ原の戦い後は徳川家康に仕えて、美濃国内に知行を与えられたという。隠居後は道庵と称した。

寛政重修諸家譜』によれば、慶長13年(1608年)10月19日死去、年齢は不詳。家督は子・持益が相続した。なお、頼元は斎藤姓を称し、子の持益が土岐姓に戻したという。