土屋耕二
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土屋 耕二(つちや こうじ、1891年(明治24年)1月4日[1] - 1947年(昭和22年)10月11日[2])は、日本の内務官僚。印刷局長。
経歴
[編集]千葉県夷隅郡長者町(現在のいすみ市)出身[3]。1915年(大正4年)10月、文官高等試験に合格し[4]、翌年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した[1]。北海道庁理事官、広島県理事官、広島県書記官・学務部長、石川県書記官・警察部長、長野県書記官・警察部長を歴任[1]。
1928年(昭和3年)、内閣印刷局書記官・総務部長に転じ[1]、1936年(昭和11年)には内閣印刷局長に就任した[5]。1943年(昭和18年)に内閣印刷局は大蔵省印刷局に改組されたが、引き続き局長を務めた。退官後は日本銀行監事を務めたが[2]、戦後に公職追放となった[4]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
脚注
[編集]- ^ a b c d 大衆人事録 1930.
- ^ a b 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
- ^ 北海道人名辞書 1923, p. 71.
- ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、214頁。
- ^ 人事興信録 1943.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 金子信尚編『北海道人名辞書』北海民論社、1923年。