土屋直幹
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土屋 直幹(つちや なおき、1887年10月16日[1] - 1968年6月19日[2])は、日本の実業家。玄洋社社員[3]。
経歴・人物
[編集]久留米藩士・土屋新三郎の長男として、福岡県久留米市に生まれる[4]。1897年福岡市に転居し、1908年福岡県立中学修猷館を卒業[5]。在学中は修猷館野球部に所属し、玄洋社の柔道道場明道館で柔道を学んだ[4]。1912年長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)を卒業[1]。
卒業後、神戸の川崎造船所に入社。ここで同僚であった成瀬正行が、1914年に機械商社である盛興商会を設立するとこれに入り、1918年同社博多支店長となる。成瀬が巨万の富を得て盛興商会を廃業すると、直幹はこれを引き継ぎ、1921年正興商会を創立し社長となる。1928年には、機材の製造を自ら行うことを考え、正興商会内部に生産部門として「正興電機製作所」を立ち上げた[4]。1958年代表取締役会長に就任、1960年商号を正興電機製作所と改称した[1]。