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土屋大次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

土屋 大次郎(つちや だいじろう、1858年1月27日安政4年12月13日[1])- 1910年明治43年)5月12日[2][3])は、日本の実業家政治家衆議院議員(1期)。旧姓・武川。

経歴

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相模国足柄下郡岩村(神奈川県[2]足柄下郡岩村[3]を経て現真鶴町)で、石工・武川半三郎の二男として生まれる[4]。15歳で石工として岩村の丸山丁場で働き始め、のち親戚の土屋家の養子となり、土屋石店(土屋商店)を設けた[4]

足柄下郡会議員、同参事会員、神奈川県会議員となる[2]。また、吉浜銀行、帝国石材各(株)取締役、豆相人車鉄道、日本軌道各(株)相談役、熱海鉄道(株)監査役を務める[2]

長谷川豊吉の辞職に伴い1909年(明治42年)7月に実施された、第10回衆議院議員総選挙神奈川県郡部補欠選挙において立憲政友会所属で当選した[5][6]。衆議院議員を1期務め[2][3]、当選から1年もしない1910年5月に死去した[7]。墓所は真鶴町龍門寺。

親族

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脚注

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  1. ^ 衆議院『第二十七回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1910年、4頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』413頁。
  3. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』294頁。
  4. ^ a b 「明治期の箱根山周辺産安山岩の石材利用と土屋大次郎の事業活動」18頁。
  5. ^ 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』243頁。
  6. ^ 『官報』第7838号、明治42年8月10日。
  7. ^ 『官報』第8067号、明治43年5月16日。
  8. ^ 『人事興信録 第8版』カ103頁。
  9. ^ 『人事興信録 第8版』ツ33頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 丹治雄一「明治期の箱根山周辺産安山岩の石材利用と土屋大次郎の事業活動」『神奈川県立博物館研究報告 人文科学 43』神奈川県立歴史博物館編、2016年。