土佐光親
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土佐 光親(とさ みつちか、1646年(正保4年)以降・1656年(明暦2年)以前 - 1730年10月28日(享保15年9月17日)[1])は、江戸時代前期から中期の土佐派の画家、鍼灸医。通称、宮内。号に素絢斎など。法名は了仙。
経歴
[編集]土佐派中興の祖・土佐光起の次男として生まれる。兄は土佐光成。剃髪後は了仙と名乗る鍼医となり、安川姓に改め備後福山藩(広島県福山市)に仕官した。
父に倣って鶉の絵を得意としたとされ、実作品を見ても光起様式を忠実に継承している。
作品
[編集]- 「海棠に鶉図」 絹本著色 1幅 縦35.1x横50.8cm 個人蔵 款記「土佐素絢齋行年七十五歳畫」/朱文方印[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『美術人名辞典』 思文閣出版