土井定包
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土井 定包(どい さだかね、1928年7月27日[1] - 2009年4月14日[2])は、日本の実業家。佐賀県生まれ[2]。元大和証券社長・会長[2]。大和証券を業界2位に押し上げ「中興の祖」と評されるが、総会屋への利益供与事件によって1997年に退任、顧問に退いた[3]。
経歴
[編集]- 佐賀中学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)卒業。
- 1948年(昭和23年)3月:長崎経済専門学校(現長崎大学経済学部)卒業[2]。
- 1949年(昭和24年)3月 大和証券株式会社入社[2]
- 1980年(昭和55年)9月 同社取締役社長
- 1989年(平成元年)10月 同社取締役副会長
- 1991年(平成3年)6月 同社取締役会長
- 1994年(平成6年)7月 日本証券業協会 会長
- 2004年(平成16年)11月 旭日大綬章受章[4]
- 2009年(平成21年)4月14日 肺炎のため死去[1]
脚注
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.407
- ^ a b c d e “大和証券の土井元社長死去 業界2位に育てた中興の祖”. 47NEWS (2009年4月20日). 2012年9月14日閲覧。
- ^ “asahi.com(朝日新聞社):大和証券の「ドン」土井定包さん死去 - おくやみ - ビジネス”. www.asahi.com. 2020年8月7日閲覧。
- ^ “皇居で大綬章の親授式 明石元国連事務次長ら”. 47NEWS (2004年11月5日). 2012年9月14日閲覧。
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